يَسْأَلُونَكَ عَنِ الْأَنفَالِ ۖ قُلِ الْأَنفَالُ لِلَّهِ وَالرَّسُولِ ۖ فَاتَّقُوا اللَّهَ وَأَصْلِحُوا ذَاتَ بَيْنِكُمْ ۖ وَأَطِيعُوا اللَّهَ وَرَسُولَهُ إِن كُنتُم مُّؤْمِنِينَ (1) إِنَّمَا الْمُؤْمِنُونَ الَّذِينَ إِذَا ذُكِرَ اللَّهُ وَجِلَتْ قُلُوبُهُمْ وَإِذَا تُلِيَتْ عَلَيْهِمْ آيَاتُهُ زَادَتْهُمْ إِيمَانًا وَعَلَىٰ رَبِّهِمْ يَتَوَكَّلُونَ (2) الَّذِينَ يُقِيمُونَ الصَّلَاةَ وَمِمَّا رَزَقْنَاهُمْ يُنفِقُونَ (3) أُولَٰئِكَ هُمُ الْمُؤْمِنُونَ حَقًّا ۚ لَّهُمْ دَرَجَاتٌ عِندَ رَبِّهِمْ وَمَغْفِرَةٌ وَرِزْقٌ كَرِيمٌ (4) كَمَا أَخْرَجَكَ رَبُّكَ مِن بَيْتِكَ بِالْحَقِّ وَإِنَّ فَرِيقًا مِّنَ الْمُؤْمِنِينَ لَكَارِهُونَ (5) يُجَادِلُونَكَ فِي الْحَقِّ بَعْدَمَا تَبَيَّنَ كَأَنَّمَا يُسَاقُونَ إِلَى الْمَوْتِ وَهُمْ يَنظُرُونَ (6) وَإِذْ يَعِدُكُمُ اللَّهُ إِحْدَى الطَّائِفَتَيْنِ أَنَّهَا لَكُمْ وَتَوَدُّونَ أَنَّ غَيْرَ ذَاتِ الشَّوْكَةِ تَكُونُ لَكُمْ وَيُرِيدُ اللَّهُ أَن يُحِقَّ الْحَقَّ بِكَلِمَاتِهِ وَيَقْطَعَ دَابِرَ الْكَافِرِينَ (7) لِيُحِقَّ الْحَقَّ وَيُبْطِلَ الْبَاطِلَ وَلَوْ كَرِهَ الْمُجْرِمُونَ (8)صدق الله العظيم

عَنْ أُمِّ المُؤمِنِينَ أُمِّ سلَمَةَ رضي اللَّهُ عنها أن النبيَّ صَلّى اللهُ عَلَيْهِ وسَلَّم كانَ إذَا خَرجَ مِنْ بيْتِهِ قالَ : « بسم اللَّهِ، توكَّلْتُ عَلَى اللَّهِ، اللَّهُمَّ إِنِّي أعوذُ بِكَ أنْ أَضِلَّ أو أُضَلَّ ، أَوْ أَزِلَّ أوْ أُزلَّ ، أوْ أظلِمَ أوْ أُظلَم ، أوْ أَجْهَلَ أو يُجهَلَ عَلَيَّ » رواه أبو داود والتِّرمذيُّ.

兄弟、姉妹の皆様にとり、祝福に満ちた金曜日でありますように!
私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)とアブー・バクルが、マディーナを目指して旅をしていた時のことです。これを知った多神教徒たちは、彼らを見つけ出そうと、あらゆる場所を探して回りました。アッラーのみ使いと教友は、追っ手を逃れ、多神教徒たちを振り切ろうと、サウル山の洞窟にその身を隠しました。しばらくして、多神教徒たちが洞窟の入り口までやってきました。アブー・バクルは不安になり、次のように口走りました。「おお、アッラーのみ使いよ!彼らのうち誰かが、自分の足元を覗きでもしたら、私たちは見つかってしまいます。」私たちの預言者ムハンマドは、いつ・どのような時であれ、アッラーに対する揺るぎない信仰と服従を備えておられました。そこで彼は、友人を落ち着かせるために、また私たちにアッラーを信じることについて教えるためにも、クルアーンの言葉を繙(ひもと)きつつ、次のように答えたのです。「『心配してはならない。アッラーはわたしたちと共におられる。』アッラーと共にある私たちが、何を恐れることがあろうか。」
兄弟、姉妹の皆様!
信仰者にとり、最も大切な在(あ)り方のひとつが、タワックル、すなわち「アッラーを信頼する」ということであります。タワックルとは、まずは自分自身の全力を尽(つ)くし、その上で、全能のアッラーに委(ゆだ)ねるということであります。

金曜日のお祈り - ホトバ「信仰者 の 在り方 タワックル について」
金曜日のお祈り - ホトバ「信仰者 の 在り方 タワックル について」

尊敬すべき信仰者の皆様!
「アッラーを信頼する」とは、本来どのような在り方なのかを知りたいと思うならば、預言者たちの人生を見てみる必要があります。彼ら一人ひとりが、最も美しい信仰の模範(もはん)を示してくれているからです。預言者アーダムは、人類に対し、アッラーを信頼するということの最初の模範を示してくださいました。彼の示した模範とは、アッラーへの信頼とは犯した罪と過ちに対する悔(く)い改(あらた)めであり、アッラーの慈悲に対する希望を失ってはならない、ということであります。預言者アーダムと、その妻ハッワが過ちを犯したとき、彼らは次のように願いました。「主よ、わたしたちは誤ちを犯しました。もしあなたのお赦(ゆる)しと慈悲をお受けできないならば、わたしたちは必ず失敗者の仲間になってしまいます。」
親愛なる兄弟、姉妹の皆様!
「アッラーを信頼する」とは、タウヒードのために、炎の中へ投げ込まれるという危険をも冒(おか)した預言者イブラーヒームのように、怯(ひる)まず、毅然(きぜん)としていることであります。預言者イスマーイールのように、アッラーの道のために、全てを捨て去る勇気を示すことであります。預言者アイユーブのように、傷つき、肉が切り裂かれ、骨に達するかというような時でさえ、忍耐と強さを身にまとい続けることであります。愛する預言者ユースフを切望(せつぼう)し、両の目の視力を失った預言者ヤアクーブのように、自己を犠牲にすることであります。謙虚(けんきょ)さ、慎(つつ)ましさの最も優れた模範である、預言者ユースフのように、あらゆる種類の試練に直面しても、常にアッラーを避難所とすることであります。
そして最後に、「アッラーを信頼する」とは、慈悲のみ使いであるムハンマド・ムスタファ(彼の上に祝福と平安あれ)のように、あらゆる災難に関わらず、いつでも希望に満ちていなければなりません。それは彼のように堅い信仰、偉大な理想、そして溌剌(はつらつ)とした努力を保つことであります。思いやりと慈(いつく)しみ、正義と真実、道徳と美徳の道を、忍耐強く歩み続けることであります。
親愛なる兄弟、姉妹の皆様!
私たち、一人ひとりが、自らに課された義務を果たすための努力をしましょう。全能のアッラーに願い出る前に、まずは自らの責任を果たさねばならないのだと知っておきましょう。やがては消え去る現世と、そこにあるものに頼るのではなく、あらゆるものを自在に操(あやつ)る権能の主、永遠の主、アッラーのみを避難所とし、アッラーのみに信頼を置きましょう。私たちの聖典において、以下のアーヤを通して示されている通り、真の信仰者の資質を保つための努力をしましょう。「信仰者とは、アッラーのことに話が進んだとき、胸が畏敬(いけい)の念で戦(おのの)く者たちで、かれらに印が読誦(どくしょう)されるのを聞いて信心を深め、主に信頼する者たち。・・・」
尊敬すべき信仰者の皆様!
私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)が教えてくださった、次の祈りをもって本日のホトバを終わりたいと思います。「アッラーの御名において、私はアッラーを信じる。おお、アッラー!意図せずして滑り落ちたり、道を踏み外したとき、あるいは抑圧に加担したり、抑圧されたとき、あるいは無知ゆえの振る舞いをしたり、無知ゆえの扱いを受けたとき、私はあなたのご加護を求めます。」