尊敬すべき信仰者の皆様! 私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ) の妻マイムーナが、次のように、彼に尋ねたときのことです。「おお、神のみ使いよ! バイトゥル=マクディスについて、私たちに教えてください。」神のみ使いはこうお答えになりました。「それは復活と召集の地です。行ってそこで礼拝をしなさい。そこでの一回の礼拝は、その他の地で行う千回の礼拝に値(あたい)するからです。」マイムーナは、こうも尋ねました。「もしも私が出かけられず、そこへ行くことができないようなら、どうすれば良いでしょうか、おお、神のみ使いよ。」すると慈悲のみ使いはこうお答えになりました。「それならば、かの地で灯されるランプのための油を、贈り物として届けなさい。そうすれば誰でも、かの地を訪れたも同然となるでしょう。」
尊敬すべきムスリムの皆様! 想像してください、タウヒードのために戦った多くの預言者たちの故郷である町について。想像してください、唯一の神を信仰する三つの宗教のキブラである町について。想像してください、その名とその地において、祝福された神聖な場所とみなされてきた町について。その町とはイェルサレム、聖なる町、かつてバイトゥル=マクディス(聖なる館)として知られていた町であります。何千年にも及ぶ文明のゆりかごであり、憧れ(あこがれ)の中心であり続けたイェルサレムとその周辺は、イブラーヒーム(アブラハム)、イシュマーイール(イシュマエル)、ヤアクーブ(ヤコブ)、ムーサー(モーセ)、スライマーン(ソロモン)、そしてイーサー(イエス)といった、多くの預言者たちの足跡(そくせき)が残された土地であります。マスジド・アル=アクサーは、イスラームにおける最初のキブラであり、また、私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)がイスラーゥ(夜の旅)とミゥラージュ(昇天)を経験したのも、やはりイェルサレムでのことでした。神のみ使いが私たちに、バイトゥル=マクディスと精神的な絆を持つよう望んだのもこうした理由からであります。彼は私たちに、かの町へウムラに出かけるよう奨めてもいます。

金曜日のお祈りのホトバ 「尽きせぬ悲しみ ー イェルサレムとマスジド・アル=アクサーについて」
金曜日のお祈りのホトバ 「尽きせぬ悲しみ ー イェルサレムとマスジド・アル=アクサーについて」

兄弟、姉妹の皆様! イェルサレムの平和は、カリフ・ウマルの制覇によってもたらされました。とりわけオスマン時代には、ムスリムは公正さと慈悲深さをもって統治し、異なった宗教を持つ人々の生活と財産、信仰の自由に介入することは決してありませんでした。事実、ムスリムではない人々が、自分たちどうしの紛争を解決するのに、イスラームの正義を求めたほどであります。私たちの宗教の限りない寛容さと、何ものをも受け入れる理解を表わすのに最も優れた例が、バーブ・アル=ハリールの内壁(ないへき)の碑文(ひぶん)であります。私たちの祖先は、「ラー・イラーハ・イッラッラー、イブラーヒーム・ハリールッラー」、すなわち「神の他に神はなく、イブラーヒームは神の友である」と書いています。つまり彼らがイェルサレムの壁に刻んだのは、すべての一神教徒たちが預言者と認める、イブラーヒーム(アブラハム)の名だったのであります。
尊敬すべき信仰者の皆様! ダール=ッサラームが、すなわち歴史において常に平和と安らぎの中心であったイェルサレムが、長きに渡って悲しむべき状態にあるのは、残念なことであると言わざるをえません。マスジド・アル=アクサーが、私たちの最初のキブラが傷ついています。ありとあらゆる種類の罪が重ねられ、今となってはイェルサレムは、もはや平和の町ではなくなってしまっています。ありとあらゆるところに人類の足跡と記憶が残された、古い歴史を持つ町が、平和を求めているのです。預言者たちの町において、団結と共存、そして信仰者たちの最も神聖な価値そのものが、毎日のように、標的とされています。罪なき人々が、無慈悲に殺害されています。残酷かつ野蛮な方法で、ムスリムたちが自らのモスクで礼拝するのを禁じられているのです。マス ジド・アル=アクサーでの金曜礼拝を行えなかったのは、1967年以来、初めての出来事であります。礼拝所を閉鎖するという行為には、何ら法的な根拠も、宗教的な根拠も、人道的な根拠も無いということを忘れてはなりません。人々をその礼拝所から遠ざけたり、礼拝所を破壊したりする者たちについて、神は次の通り、はっきりと明確に告げておられます。「神の聖なるマスジドで、人々がその御名を讃えるのを妨げたり(さま たげたり)、またそれを破壊しようとする者よりも不将(ふらち)な者がどこにいるだろうか。これらの者 は、本来、恐る恐るそこに足を踏み入れることしかできないはずである。かれらは、現世では屈辱を、また来 世では厳しい懲罰を受けよう。」
尊敬すべき信仰者の皆様! ムスリムとしての私たちの歴史には、権利の侵害や残酷、野蛮といった恥ずべき非人道的な行為は無かったというのが事実であります。しかしながら私たちの兄弟、姉妹を苦しめているあらゆる災難や残虐さ、抑圧から、私たちはひとつの教訓を得ています。私たちは、直ちに(ただちに)ウンマの精神と、同胞どうしの信頼を強めなくてはなりません。お互いの権利と尊厳、相手の利益を守り合わなくてはなりません。イスラームのウンマを再び輝かしいものとするには、私たちひとりひとりが、自らの持てる力のすべてを出しきって努力しなくてはならないのです。