尊敬すべき信仰者の皆様!
以下のアーヤ(章句)において、神はこう述べておられます。「かれこそは神、あなたがたの主である。かれの外に神はないのである。すべてのものの創造者である。だからかれに仕えなさい。かれはすべてのことを管理なされる。」
また、次のハディースにおいては、私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)がこう語っています。「誰であれ、信仰の真の味わいを知る者は、三つの性質を身につけている。すなわち、神のためにのみ人を愛すること、その者にとり誰よりも尊いのは神とみ使いであること、神によって救われたがゆえに、不信仰に戻るよりも、業火に投げ込まれる方がよいと考えることである。」
兄弟、姉妹の皆様!
信仰とは、最大の自由であります。信仰者とは、その精神が自由な者を指します。ただ自らの主にのみ頭(こうべ)を垂れるのが、信仰者であります。他の被造物に仕えるということはありません。神以外の何ものかに頭(こうべ)を垂れたり、同じ従僕(しもべ)である誰かに仕えたりするのは奴隷制度である、ということを知っているのが信仰者です。有限の存在である人間に対してではなく、永遠の真理にこそ自らを捧げるのが信仰者であります。真理を前に、見て見ぬふりをしたり、耳を塞いだり、黙ってやり過ごすようなことはしません。信仰者であれば、善や正義から目を背けるようになるほど、自らの心と意識を鈍らせたりはしません。その心の中には、神とそのみ使いに対する以上の愛は存在しません。信仰者は、それが大いなる過ちであることを知っています。それは神に同位の者を配するということを意味します。そしてそれは、この上ない不正であります。

金曜日のお祈りのホトバ 「真の自由とは 神に仕えること」
金曜日のお祈りのホトバ 「真の自由とは 神に仕えること」

尊敬すべき信仰者の皆様!
信仰者は、神が好まれることにのみ情熱を傾けます。主の怒りを招くことを選べば、自らの自由が損なわれることを知っているからであります。信仰者は、束の間の喜びや、現世における上辺(うわべ)だけの楽しみという落し穴に陥る(おちいる)こともありません。妄想や欲望の奴隷になれば、自らの自由が失われることを知っているからであります。被造物の中でも、最も名誉ある存在として造られたということを自覚しているのが信仰者であります。また信仰により、その名誉が永遠のものとされるだろうことも知っています。信仰者にとり、人生の導きとなるのは至高のクルアーンであります。それは正しさと間違いを、真実と虚偽を、罪と善行とを分かつものであります。信仰者の道を案内するのは、慈悲の預言者、人類ただ一人の指導者その人であります。神について沈思黙考する心をもって、神は信仰者に価値を授けたまいます。それは他の何よりも、神の愛と恩寵を湛える(たたえる)心です。それは善行をなすことで満たされた、実りゆたかな人生であります。
尊敬すべき兄弟、姉妹の皆様!
残念ながら、私たちは今日(こんにち)、物質的なものごとが精神的なそれよりも優先され、あらゆる種類の宣伝や批評により、心がかき乱される世界を生きています。私たちは、煽り(あおり)立てられた妄想や欲望が引き金となる時代を生きています。より多くの収入を得て、より多くを消費することが奨励されるこのような世界では、信仰によって得られる自由こそ、私たちの真の資本であるということは疑うべくもありません。
信仰に根ざした尊厳こそ、私たちの真の利益であります。善行こそは私たちの真の財産であり、人生における信仰の反映であります。真の優劣とは、自らの信仰と価値観に対する認識にかかっているのです。本日のホトバを、次のアーヤ(章句)をもって終わります。「言え、(ムハンマドよ)『あなたがたがわたしの主に祈らないなら、どうして主があなたがたをを構われるだろうか?』。」
兄弟、姉妹の皆様!
宗務庁基金は、世界中に援助の手を差し伸べる活動を行ない、過去から現在に至るまで、トルコ国内や親愛の関係にある地域に数多くのモスクを築いてきました。現在、キプロスのハラ・スルタン・モスク、キルギスタンのビシュケク・モスク、アルバニアのティラナ中央モスク、ジブチのスルタン・アブドゥルハミト・ハン二世モスクならびに複合施設について、皆様からの御志(おこころざし)をお待ちしております。皆様の今までの、またこれからのお心遣いを全能の主が受け入れたまいますようお祈りいたします。神が私たちを、ハディースにおいて、「神のためのモスクを築く者を、神は楽園におけるそれと同等の館をもって報いたもう」と、語られている者としてお認めくださいますよう、お祈りいたします。神が私たちのモスクを、心を築き、私たちの連帯と同胞愛を強め、私たちの尊厳を高めてくださいますようお祈りいたします。