親愛なるムスリムの皆様。
夜が必ず朝となるように、冬も必ず春となります。時が過ぎ、冬はその場所を春へとあけ渡すのです。春、この世界を見るなら、アッラーの慈悲によって蘇生してくるさまざまなことを共に喜ぶことができます。春には、太陽に愛情のしるしが見えます。氷が解け、雪が水になり、水蒸気となって昇っていきます。上空でしずくとなった水は、慈悲として地上に降ってきます。春の夕立によって、乾いた切り株が生気を取り戻します。乾いた骨のようだった木々は、新緑によって飾られます。地に蒔かれた種は、新しい生を始めるべく地上に芽を出してきます。いっせいに色とりどりの花を咲かせ、よい香りをふりまきます。
クルアーンのある句では、「かれこそは、慈悲に先んじて吉報をもたらす風を送られる御方である。それが(雨を)含んだ重い雲を運ベば、われはそれを死んでいる地に送って雨を降らせ、これによって各種の果実を生産させる。われはこのように死者を甦らせる。恐らくあなたがたは悟るであろう。」(高壁章第57節)とされ、地上のこの息吹は、私たちに復活することを教えています。
親愛なるムスリムの皆様。
一人の人間にとって、新たな生を得ること、本来の生きる場所である来世のために備えることは最も重要なことです。クルアーンがこの上なく素晴らしい形で描いているこの幸福な場のために、私たちはどれほど備えができているでしょうか。春の雨のようにアッラーの恵みが与えられるこの季節には、アッラーのもとへ向かうものにとっても、それが容易になるであろうということは忘れるべきではありません。天の扉が開かれ恵みがもたらされる時には、地上からのドゥアーや願いが天に昇ることよりも容易となるに違いありません。アッラーが私たちに見本として味わわせてくださったこの素晴らしさの、見本ではなく本物を求めるべきであり、自然界が春になって自らを新たにするように、私たちも私たち自身を新たにするべきです。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
私たちが試練の場にいること、二人の天使によって、録画されているかのように全ての行動が記録されていること、これらがいつの日か私たちの前に示されることを、私たちは知っています。だから、正誤の区別が明らかにされる日、恥じ入って後悔するような行動は避けましょう。アッラーのご満悦に従って生き、よいしもべとしてアッラーの御前に出ることができるよう努めましょう。
本日のホトバを、次のクルアーンの章句で締めくくりたいと思います。「さあアッラーの慈悲の跡をよくみるがいい。かれが如何に、死んだあとの大地を甦らされるかを。このようにかれは、死んだ者を甦らせる。かれは凡てのことに全能であられる。」(ビザンチン章第50節)