兄弟、姉妹の皆様にとり祝福された金曜日でありますように。

私たちは、試練を受ける場としての世界に生きています。加えて私たちはしもべとして自分に課された試練は自分自身で乗り越えるよう義務付けられています。現世と来世の平安を成就するためには、責任感に従って行動しなくてはなりません。自分自身に対して、私たちの主に対して、そして私たちのコミュニティに対して、私たちは自分の義務を果たす必要があります。諸世界の主であるアッラーは、クルアーンにおいて次のように命じておられます。「信じる人々よ。あなたがたを負うのはあなたがた自身である。あなたがたが[正しく]導かれているとき、迷った者にはあなたがたを迷わせることはできない。あなたがたは、ことごとくアッラーに帰る。そしてかれはあなたがたに、あなたがたの行ってきたことについて報せるだろう」。[1]

親愛なる信仰者の皆様!

責任感のある人は、義務を果たす意識をもって自分の人生を歩んでいます。彼/彼女は人生やその中での出来事を、そして宇宙全体を、学ぶべき教訓とみなしています。自分がこの世に放置されているわけではないことや、授けられているすべての祝福について、また自分のした発言や行動について必ず申し開きをしなくてはならないことをよく知っています。責任感のある人は誠意と誠実さをもって、人生のあらゆる場面において道徳と美徳を大前提とします。嘘をついたり、中傷したり、ごまかしたり、だましたりといった悪い行いによって、自分自身や自分のコミュニティを傷つけることはしません。

兄弟、姉妹の皆様!

自分の責任を自覚している人なら、自分は過ちを犯しもせず、また高慢にふるまうこともないとは考えません。それは私たちの主が、次のアーヤにおいて告げておられる通りです。「自分で自分のことを清らかなどと思ってはならない。[を]畏れて悪から身を守る者については、かれが最もよく知っている」。[2]責任を意識する人は、まずは自分自身の過ちを正すために一生懸命に努力するものです。自分自身についての説明責任を逃れようとはしませんし、また他人の罪を言いふらすこともしません。自分自身の過ちを隠して、誰か別の人を攻撃の的にするようなことはしません。また、次のハディースを無視することもしません。「誰かがムスリムの過ちを隠すなら、復活の日、アッラーはその者の過ちを隠してくださる」。[3]

兄弟、姉妹の皆様!

私たちの全能の主は、次の通り命じておられます。「あなたがたは啓典を誦んでいながら、人々に徳を命じても、あなたがた自身については[その実践を]忘れたのか。それでもあなたがたは、考えないのか。”[4]第一に、責任感のある人は自分自身のために善良さを原則とします。そうすることにより、性格や言葉を通してコミュニティの模範となるでしょう。事実として、善良さの道を歩んでいない人が、他の人をその道へ案内することができないのは確かです。悪の奴隷となってしまった人には、他人を悪から遠ざけることはできません。正しいことにも、正しくあることにも貢献しない人には、他の人に正しさを教えることはできないでしょうし、礼儀正しい態度をとれない人には、他の人に対する道徳や美徳の模範になることはできません。

尊敬すべきムスリムの皆様! 私たちは、地上において最も貴重な存在である人間として創造されました。この貴重さの王冠となるのが、私たち自身の信仰です。人間でありかつ信仰を持っているという、これらの祝福の価値を理解するようつとめましょう。これらの祝福が、私たちに責任をもたらしもするということを決して忘れずにいましょう。自分自身、主、そして私たちが責任を負う人々との関係においては、決して誠意を捨てることのないようにしましょう。まずは自分自身の責任を自覚し、それから私たちのコミュニティに信頼感と責任感を植えてゆきましょう。そして最後に、私たち全員が主の御顔を得るために、一生懸命に努力してゆきましょう



[1]Ma’idah, 5/105.

[2]Najm, 53/32.

[3]Abu Dawud, General Behavior (Kitab Al-Adab), 60.

[4]Baqarah, 2/44.