読書会コラム:ユヌス・エムレ 心の言葉 ― 第2回「身を焦がすほどの熱い愛」

illustration by ghufron yazid

読書会コラム:ユヌス・エムレ 心の言葉 ― 第2回「身を焦がすほどの熱い愛」

先月に続いて今月も、「イスラーム古典読書会」初回からナビゲーターをつとめてくださっているカイイム・ホジャこと山本直輝先生からユヌス・エムレの訳詩と解説が届きました。「修行僧ユヌス」とも呼ばれ、トルコ文学の祖として知られる13世紀の詩人の言葉を日本語でも味わってみてください。

次回(3月19日 17:00~)の「イスラーム古典読書会-I ユヌス・エムレの世界」では、この「神への愛」をご一緒にひも解いてゆきます。参加を希望される方は申込フォームよりご連絡ください。


ユヌス・エムレ
心の言葉

第二回:身を焦がすほどの熱い愛

文:山本直輝
画:グフロン・ヤジッド

 第二回は「神への愛」を詠うユヌス・エムレの詩を紹介したいと思います。「神さま」というと皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。どこか空の上にいて、我々を見下ろしている仙人のような存在でしょうか、あるいはこの世に未練をもって亡くなり、雷や洪水などの「祟り」を引き起こすようになったおどろおどろしい存在でしょうか。人間はいにしえの時代から様々な神さまをイメージし、いろんな信仰や宗教を信じてきました。
 イスラームの神さまである「アッラー」は人知を超えた次元に存在する創造神であるとされています。我々の理解を超えた超越神でありながら、しかし一方でアッラーは99の名前を持つ「人格神」、すなわち固有の知性、感情、意思をもって己が創造した被造物と関わる神さまです。人格神というとなんだか「人間のような」感情や意思をもつ主体のように聞こえますが、イスラームでは人間が持つ知性や感情、意思こそが実は神さまから与えられた借り物であって、不完全な被造物に過ぎない人間はそれらを完全にコントロールすることはできず、完全な存在であるアッラーこそが知性や感情、意思を全きかたちで扱うことができるといわれます。イスラームの預言者ムハンマドが伝える言行録には、アッラーがいかに人の感情とは比べ物にならないほどの豊かな感情を持つ存在であるかを説いたエピソードがたくさんあります。
 ユヌス・エムレのようなスーフィー詩人が最も大切にするのは、「愛」という感情で結ばれる神と人のかかわりです。ここでの愛は、アラビア語ではイシュク、トルコ語ではアシュクと呼ばれる単語で、木にまとわりつくツタが周囲の水を吸い上げて、ときにはやがて木を弱らせ枯れさせてしまうような、気を付けなければ己さえも滅ぼしてしまう激しい恋の感情を意味します。
 ユヌス・エムレ以前にも、スーフィー詩人たちはこのような情熱的な愛を様々な説話や伝説、詩で表現してきました。もっとも有名な愛にまつわる伝説は、アラビア半島のベドウィンの姫ライラに心を奪われ、恋焦がれマジュヌーン(狂人)となってしまった青年カイスの物語でしょう。「ライラとマジュヌーン」は、12世紀から13世紀にかけて活躍したペルシア人の大詩人ネザーミー・ギャンジャヴィーによって詩として編まれ、後世のスーフィー詩のみならず、絵画や現代歌謡にも大きな影響を与えました。今回紹介する詩の中でユヌス・エムレは、ライラをアッラーに、心奪われたカイスを自らに見立て、アッラーへの愛を情熱的に詠っています。また今回の詩の中で呼びかける対象として使われている「あなた」や「師」、そして「真友」はアッラーを指しており、ユヌス・エムレはこの世のあらゆる雑念や煩悩、絆を焼き尽くすような、ただアッラーだけを求め「恋焦がれる」心境を詩で表現しています。
 しかし一方でこのような情熱的な愛は、いわゆる「恋に恋する」ような独りよがりの独善的な気持ちとして終わりかねません。面白いのは、ユヌス・エムレもその点を見抜いているようで、「真友の手の中で彷徨い続ける」と詠っているように、実はアッラーはそのような人間の激しい愛の感情とは比べ物にならないくらい人間を愛しているのに、人間は神の愛に包まれていることに気づかず彷徨い続けているのだと語っています。本当の愛とは相手をどれだけ愛せるかではなく、どれだけ愛されているかを感じる心を養うことだとユヌス・エムレは言いたいようです。

愛の渇きに焼き焦がされて 私は歩き続ける
愛は血の泪で私を染め抜く
正気を保つことも、狂いきることもできない
ああご覧よ、あなたを愛したせいで

あるときは風のように吹きすさび
あるときは塵のように這いまわる
あるときは洪水のようにあふれ出す
ああご覧よ、あなたを愛したせいで

私の思いは水のように流れ続け
心は山のように沈み込む
師を想って泣き続ける
ああご覧よ、あなたを愛したせいで

手を握って ここから出して
できないならせめて傍に引き寄せて
泣いたり笑ったり あなたのせい
ああご覧よ、あなたを愛したせいで

歩いて歩いて彷徨い続け
師を讃えたくても言葉足らず
故郷からも遠く遠く離れてしまった
ああご覧よ、あなたを愛したせいで

ライラを愛したマジュヌーンのように
風で巻き上がる塵の中に見た気がして
起き上がれども心には悲しみだけ
ああご覧よ、あなたを愛したせいで

哀れなユヌスをごらんなさい
頭から足の先まで傷だらけ
真友の手の中で彷徨い続ける
ああご覧よ、あなたを愛したせいで

Ben yürürüm yane yane
Aşk boyadı beni kane
Ne akılem ne divane
Gel gör beni aşk n’eyledi

Gâh eserim yeller gibi
Gâh tozarım yollar gibi
Gâh akarım seller gibi
Gel gör beni aşk n’eyledi

Akar sulayın çağlarım
Dertli ciğerim dağlarım
Şeyhim anuban ağlarım
Gel gör beni aşk n’eyledi

Ya elim al kaldır beni
Ya vaslına erdir beni
Çok ağlattın güldür beni
Gel gör beni aşk n’eyledi

Ben yürürüm ilden ile
Şeyh sorarım dilden dile
Gurbette hâlim kim bile
Gel gör beni aşk n’eyledi

Mecnun oluban yürürüm
Ol yâri düşte görürüm
Uyanıp melûl olurum
Gel gör beni aşk n’eyledi

Miskin Yunus biçâreyim
Baştan ayağa yareyim
Dost ilinden âvâreyim
Gel gör beni aşk n’eyledi.

 


山本直輝(やまもと なおき)

1989年岡山県高梁市出身。 同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。 現在はマルマラ大学大学院トルコ学研究所助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。『スーフィズム入門』(集英社新書プラスにて連載、2019年~2022年)。


イスラーム古典読書会 – I ユヌス・エムレの世界
3月19日(土)17:00 ~ 18:00
場所:オンライン
ナビゲーター:カイイム・ホジャ
参加申込はこちらをクリックしてください(Linktreeのサイトが開きます)

【東京ジャーミイ文書館(準備中)主催】3月のイスラーム古典読書会 I, II & III
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