東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「都市と文明の中心としてのモスク」

兄弟、姉妹の皆様にとり祝福された金曜日でありますように!

本日のホトバでは、モスクを取り上げたいと思います。モスクを、街の中心とし、私たちの生活の中心とするには、そしてモスクを、再び文明のゆりかごとするにはどうすべきか、共に考えてみましょう。そしてモスクが、私たちの人生においてどれほど重要であるか、今一度(いまいちど)考えてみましょう。

尊敬すべき兄弟、姉妹の皆様!

私たちの全能の主は、以下のアーヤ(章句)においてこう述べておられます。「アッラーのマスジドは、ひたすらこれらの者(信者)によって管理されるべきである。(すなわち)アッラーと終末の日を信じ、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなし、アッラー以外の何ものをも恐れない者だけである。これらの者は、正しく導かれる者となるであろう。」

また、私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)は、次のハディースにおいてこう語っておられます。「地上において、アッラーに最も愛される場所とはモスクである。」

尊敬すべき信仰者の皆様!

モスクは、イスラーム文明のカルブ(中心、心臓)であります。私たちの文明において、都市部にモスクや礼拝の場所を持たないということは、とても考えられないことであります。私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)は、メディナに到着すると、直ちに(ただちに)教友たちの助けを借りて、メディナの中央にアル=マスジド・アン=ナバーウィー(預言者のモスク)を建立(こんりゅう)しました。アル=マスジド・アン=ナバーウィーは、メディナの中心地となり、文明の発祥地となりました。科学や知識、道徳と正義、愛と尊敬、思いやりや慈しみ(いつくしみ)といった様々な価値が、祝福されたこの地から世界

じゅうに、波のように広がっていったのであります。その日から現在に至るまで、イスラームの都市はモスクを中心として築かれ(きずかれ)、形作られてきました。すなわちモスクこそは、都市の魂だったのであります。

親愛なる兄弟、姉妹の皆様!

モスクは、私たち信仰者の命(いのち)であります。モスクにおいて私たちは、アッラーの御前でこうべを垂れ(たれ)、アッラーのみに仕える(つかえる)ことの喜びを深く感じることができます。モスクにおいて私たちは、終わりのない喧騒(けんそう)から解放され、その霊的な雰囲気の中、私たちは新たな気づきを得て、再び活力を取り戻すのです。この場所において私たちは、自らの感情と思考にじっくりと向き合い、自らを鍛錬(たんれん)するのです。つまりモスクとは、いつ・どのような時であっても私たちの知識と知恵、そして道徳の場なのであります。私たちの主について、宗教について、啓典について、預言者

について、同胞愛について、人生について学ぶ学校なのであります。

モスクとは、最も慈悲深い主の御前において、私たちがお互いの心をひとつにする場所であります。モスクは、私たちが共に一列に並んで、ルクウ、サジダをし、共にこうべを垂れ、ひざまずくとき、お互いが、私たちの社会と一体であるという感覚を得られるように建てられています。モスクは、この人が誰かを傷つけることはないだろうという、「信頼に足る信仰者」としての良心を育み(はぐくみ)、家庭においても、隣人にとっても、また全ての人類にとっても尊敬に値する「模範」としての良心をも育む(はぐくむ)ように建てられているのです。

尊敬すべき兄弟、姉妹の皆様!

モスクとは、ミナレットを有する、タウヒードの象徴であります。響き渡るアザーンは、シャハーダを表しています。備えられたミンバルは、そこが知識と知恵の場であることを示しています。そしてこのミフラーブは、私たちの心を征服(せいふく)しようとする怒りや恨み、憎しみ、罪といった、あらゆる種類の悪と戦う場所なのであります。

親愛なる兄弟、姉妹の皆様!

私たちの心、意識、身体が、モスクにふさわしくあれるよう、わたしたちの主にお祈りします。私たちの主が、宗教の基礎を証言するアザーンを私たちから取り上げたもうことのないよう、お祈りします。


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