東京ジャーミイ金曜日のホトバ「ハラールとハラームに対する感性について」

Friday Khutba

尊敬すべき信仰者の皆様にとり、祝福の金曜日でありますように! 私たちの全能の主は、次のアーヤにおいてこう述べておられます。「あなたがた信仰する者よ、誠に酒と賭け矢、偶像と占い矢は、忌み嫌われる悪魔の業である。これを避けなさい。おそらくあなたがたは成功するであろう。」[i]
私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)は、聖なるハディースにおいて次のように語っています。「何が合法(ハ ラール)であるかは明白であり、何が非合法(ハラーム)であるかは明白であり、その間には、多くの者が知り得ない、疑わしいことがある。それゆえ、疑わしいことに気をつける者は、自らの宗教を守る者であり、その潔白さが讃(たた)えられるだろう。疑わしいこと溺(おぼ)れる者は、実際には非合法なことに溺れているのである。・・・」[ii]

兄弟、姉妹の皆様!
ハラールとは、創造の理由と目的に適う(かなう)美しいものであります。ハラームとは、人間、すなわち私たちの主による尊重されるべき創造物の、目的と尊厳を傷つけ、害する醜いものであります。 ハラールとは、アッラーの 御前においてふさわしい言葉、行動、態度であります。ハラームとは、私たちの主のお怒りや、人々の非難を招くで あろう悪しきものであります。
ハラールに近づくほど、人は平安に近づきます。ハラームに向かって歩いていけば、後悔と悲嘆の結末を迎えます。 ハラールとハラームに対する感受性を失うことにより、無駄に過ごされた人生には、失望という結果が待ち受けてい るのです。

親愛なる兄弟、姉妹の皆様!
信仰者は、占いやギャンブル、運次第の勝負事や利息、賄賂、高利貸し、窃盗などによって、限りあるこの現世にお ける、限りある自らの生命を無駄にすることはできません。アッラーに託されたこの体を、飲酒や薬物で汚染することはできません。ハラールではない食べ物や飲み物によって、健やかさを害することはできません。
信仰者とは、親を失った子どもの財産に手を出すことなどできないような人のことです。他の人や、公共の権利に 対して不公正なことはできません。配偶者や子ども、両親や隣人、親戚を悪く扱うことはできません。悪い言葉や中 傷、嘘や偽証によって、自らの舌を汚すことはできません。誰かの信頼を裏切ったり、約束を破ったりすることは決してできません。地上において扇動や悪意をまき散らし、退廃を広めることはできません。

尊敬すべき兄弟、姉妹の皆様!
信仰者として、ハラールとハラームの境い目(さかいめ)に対する自らのふるまいを考えてみましょう。私たち一人 ひとり、自らに問いかけてみましょう。ハラールとハラームに対する感受性の範囲内で生活を送っているでしょうか? あるいは、知覚が麻痺した状態にあるでしょうか? 罪を犯すことも気にせず、ハラームを避けることもせずに、 現世と来世における自らの幸福を危険にさらしてはいないでしょうか?あるいは心から悔(く)い改めることにより、二度と過(あやま)ちを犯さずにすむところまで、来られているでしょうか?

親愛なる兄弟、姉妹の皆様!
ハラールとハラームに留意するのが、信仰者のあるべき姿であることを忘れずにいましょう。人間は、過(あやま)ちを犯すものです。しかし過(あやま)ちを犯す人間であったとしても、過ち(あやまち)から立ち直り、悔い 改める者こそ、最も賢い者なのであります。

[i] Al-Maidah, 5/90
[ii] Al-Bukhari, Book of Faith, 39; Sahih Muslim, The Book of Musaqa, 107.


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