東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ 「イスラームにおける災難に対するふるまい」

尊敬すべき信仰者の皆様!
ある日のことです。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は、病気のために亡くなったわが子墓のそばで号泣している女性を目にしました。嘆き悲しむその母親に、彼は「アッラーをおそれなさい。そして忍耐しなさい」と助言しました。すると彼女は、こう言いました。「放っておいてください。あなたには、私の苦しみがわからないのでしょう」。心痛のあまり、彼女には彼が誰なのかがわからなかったのです。しばらくして、彼女はその助言の主(ぬし)が預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)であったことに気づくと、彼の近くへやってきて非礼を詫(わ)びました。すると彼は、もうひとつの強い助言を口にしました。「最初の衝撃を受けたときから示されるものこそ、本当の忍耐です」。[i]

親愛なる信仰者の皆様!
人生において悩み、苦しみ、悲しむことや、肉体的・精神的な問題を抱えることは、誰にとっても避けようのないことです。現世が「試練の場所」と呼ばれる理由がここにあります。この点について預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は、人生において乗り越えるのがもっとも困難ともいえる試練を課されました。生まれる以前から父親を亡くし、六歳になったばかりで母親を亡くした彼は、両親なくして子ども時代を送らねばなりませんでした。さらに彼は愛する妻と、六人の子どもを失いもしました。ほんのわずかな信仰者たちと共に、多神を奉ずる者たちからの容赦ない迫害や拷問、排除や抑圧に耐えねばなりませんでした。こうしたあらゆる困難や災難にもかかわらず、彼は決して信仰と希望を失うことなく、ただアッラーにのみすがり、アッラーにのみ助けを求めたのです。

親愛なるムスリムの皆様!
全能のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、次のように告げておられます。「われらはきっとあなたがたを、いくらかの恐れと飢え、またいくらかの財産、生命、果実[の収穫]の喪失をもって試すだろう。しかしよく耐える者には、良い報せを伝えなさい」。[ii] 自分からのぞんで困難を求める者など誰もいません。ですが現世においては、試練として良いこともあれば悪いこともあるということは、ムスリムであれば誰もが知っていることでしょう。全能のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、時には私たちから何かをお取り上げになり、また別の時には私たちに多くの祝福をお与えになったりすることで、私たちを試したまいます。だからこそ問題に直面したときに、自制心を失って抗(あらが)うよりも、忍耐し落ち着きをたもつことが重要なのです。そして常識と理性に従って行動し、問題を克服するという責任を果たさねばなりません。

親愛なる信仰者の皆様!
あるとき、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は次のように語りました。「信仰者であるということは、どれほどすばらしいことでしょう。信仰者には多くの良いものがあり、そしてそれらは信仰者でなくては得られないものばかりです。 成功がもたらされれば、信仰者はアッラーに感謝をささげるでしょう。それは信仰者にとって良いことです。逆境におちいれば、信仰者は辛抱強く耐えることでしょう。それは信仰者にとって良いことです」。[iii]
良いときも悪いときも生き抜いて、アッラーとのつながりから力を得るということは、信仰の美しさのしるしです。問題に直面したときに示す忍耐や辛抱強いふるまいは、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)の御許にある安楽を指し示すものであるのを忘れずにいましょう。私たちはこの現世で信仰を持ち、善行をなすためにここにいるのです。希望を増やし、なぐさめともなる預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)の言葉を思い出しましょう。「いばらの刺し傷程度のことであっても、ムスリムにもたらされるすべての困難は、犯した罪に対する赦しのためになる」。[iv] アッラーが私たちを助けたまい、いつくしみたもうだろうという希望を、決して失うことのないようにしましょう。
[i] Bukhari, Jana’iz, 31.
[ii] Baqarah, 2/155.
[iii] Muslim, Zuhd, 64.
[iv] Bukhari, Marda, 1.


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