東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ 「身体上のプライバシーとイスラム的服装について」

尊敬すべきムスリムの皆様!
全能のアッラー(スブハーナワタアーラー)は、次の節を通してこのように定めておられます。「アーダムの子らよ。われらはあなたがたの隠しどころを覆うもの、また装うものとして衣を下した。しかし畏れることこそ、衣として最も良い。アッラーの御しるしとはこのようなもの。彼らも、憶えておくようになるだろう」。1
また、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は、ハディースの中でこう語っています。「アッラーは慎み深く礼儀を重んじ、欠点があればそれを隠す。アッラーは慎み深さと、慎み深い衣装を愛する」。2

尊敬すべきムスリムの皆様!
私たちの体は、私たちの魂と同様に、アッラー(スブハーナワタアーラー)から私たちに授けられ、託されている大いなる祝福であります。男女を問わずすべての信仰者はこれを守る義務があります。その意味で私たちの体は、私たちに授けられているすべての祝福と同様に、私たちに対する権利を持っているのです。祝福の価値を知っている信仰者全員が善い行いをし、また善いことを広めるために自分の体を使うべきでしょう。私たち全員が、自分の身体的な強さや美しさ、個性や身についた技術を何のために使ったのかが問われる日が、必ず訪れるからです。

尊敬すべき信仰者の皆様!
私たちの体についての責任とは、まず私たちの体を覆うこと、加えて私たちの体に対して向けられる無礼な視線や悪い言葉から守ることです。何よりもまず、体を覆うことは宗教的な義務であり、また本質的かつ自然的に必要なことであります。
自分の体を衣服で覆うことは、他人のためではなく何よりもまず自分のためにすることです。それは自分自身を尊重しているということ、また自分自身のプライバシーを守っているということを表しています。プライベートな部分を覆うということは、その人が自分の体をきちんと扱っているということ、注意を払っているということの現れです。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)が語っている通り、慎みとは人間だけにある特別な感覚であり、それは信仰から生じるものです。生まれるとき、私たちはその体を浄められた後に一枚の布にくるまれてから母の手に委ねられます。また死んでゆくときにも、その体を浄められた後に一枚の布にくるまれて埋葬されます。

尊敬すべき信仰者の皆様!
慎みとは非常に価値ある美徳であり、それはすべての人を美しくします。慎みが破られないようつとめることには、全員のためになる価値があります。それに対して十分な注意を払うことにより、男女の両方が共に尊重されるようになります。男女の別なく、すべての人は尊重されるにふさわしい存在なのです。

親愛なる信仰者の皆様!
プライバシーに十分に配慮するということは敬神からくるものであり、それはアッラー(スブハーナワタアーラー)に対する崇敬と敬意の感覚であるとも言えます。私たちと、私たちの体をもって祝福してくださったアッラーとのつながりを弱めてしまうことのないようにしましょう。主に受け入れられ、認められる人生を送るよう努めましょう。私たちの体は聖なるものであり、侵害されてはならないものであるということ、また魂とは美しく気高いものであるということを心に留めましょう。私たちの家族、とりわけ子供たちには、幼いうちからプライバシーの感覚を通して自尊心を育むようにしましょう。善良な社会とは、道徳、魂、そして文化的に価値のあるものを守る人々によって作られるということを忘れずにいましょう。


[1] A’raf, 7/26.
[2] Nasa’i, Ghusl, 7.

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