東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「人間、信仰、人生」

尊敬すべきムスリムの皆様!
全能のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、次のアーヤを通してこのように告げておられます。「われらは人間を、もっとも美しい姿に創造した。それから、もっとも低きへと引き下ろした。信じて正しい行いをする者は別で、彼らには、尽きることのない報酬があるだろう」。 [1]

また、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)はハディースの中でこのように語っています。「アッラーを主とし、イスラムを宗教とし、ムハンマドを預言者とする人は信仰(イーマーン)の味を知るだろう」。 [2]

親愛なるムスリムの皆様!
イスラムとは、信仰と崇拝、道徳に関する独特の体系です。
「アッラーの他に神はなく、ムハンマドが神の使徒であることを証言します」という、このシャハーダの言葉を口にすることは、現世と来世の両方のために、信仰、希望、そして幸福への門を開くことを意味します。この門から入る人は、定期的に、また細心の注意を払って礼拝(サラート)を行います。サラートは私たちの宗教の柱であり、私たちの心の光です。また、情熱と忍耐をもって斎戒(サウム)を行います。サウムは、利己主義やシャイターンにとらわれることから私たちを守ってくれる盾です。誠実に、思いやりをもって喜捨(ザカート)を支払います。ザカートは、つかの間の現世の持ちものを、永遠の利益と同胞愛に変える架け橋です。それから献身的に、かつ従順に巡礼(ハッジ)の義務を果たします。ハッジは、人々がカアバの周りで自分自身や他の人々の信仰あつい心と出会う聖なる旅です。

イスラムにおける崇拝の目的とは、人が自分自身と、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)と、そしてその他あらゆる存在との健全なコミュニケーションを確立できるようにすることです。ですから崇拝の行為のひとつひとつを、道徳的にやり遂げなくてはなりません。ムスリムにふさわしい生き方とは、なすべき崇拝をなすのと同様に、道徳の基本を守ることによって実現します。権利を守り、残酷な行為や抑圧を許さず、思いやりを広め、暴力を防ぐことは、ムスリムであるために不可欠な条件です。公正さ、正直さ、謙虚さ、寛大さといった祝福で人生を満たすことこそ、ムスリムのあるべき人格の本質です。心に真実と善を持ち、価値ある行いをなす人こそ、信仰の求める条件にかなう人であるということを忘れないようにしましょう。

[1] Tin, 95/4-6.
[2] Muslim, Iman, 56.


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