東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ 「責任を果たす父親となるために」

尊敬すべきムスリムの皆様!
家族であるということは、アッラー(スブハーナワタアーラー)によって人間に授けられた最大の祝福のひとつです。これは家族というものが、信頼、保護、避難所を意味するからです。それは善をはぐくみ、悪をふせぐために互いの手を取り合う場を指しています。未来の人類を準備する、最も重要な場でもあります。最初の教育は家族の中において与えられます。人の個性は家族の中で形づくられます。愛と尊敬、誠実さは、誰よりも先に両親から教えられるものです。
家族の中において、重要なつとめを担っているのは母親だけではありません。父親も同様です。父親の責任とは、家族を物質的・経済的に満たすことだけにとどまるものではありません。すべての父親にとり第一の、また最も重要な責任とは、慈悲の大切さを知り、良い道徳と価値観を備えた子どもたちを育てることです。預言者ムハンマドは、あるハディースにおいて次のように語っています。「父が子に残せるもののうち、良い道徳よりもすぐれたものはない」。[1]

親愛なる信仰者の皆様!
父親になるということは、預言者ヌーフがそうしたように、子どもが信仰を尊ぶよう努力することです。
父親になるということは、預言者イブラーヒームのように、絶えず祈りの中にあることを意味します。それは常にアッラー(スブハーナワタアーラー)の御許に避難することにより、従順なしもべであり続けることを意味します。
父親になるということは、預言者ヤアクーブのように、どのような困難に直面しても忍耐を保つことを意味します。忍耐と、アッラーへの信頼をもって、たとえどれほど重かろうと現世における試練を担うことを意味します。
父親になるということは、ルクマーンのように、思いやりのあるやり方で子どもに助言を与えることを意味します。何が正しく何が間違っているのか、何がハラームで何がハラールなのかを教えることを意味します。

親愛なるムスリムの皆様!
父親になるということは、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)のスンナに従うことを意味します。預言者(彼の上に祝福と平安あれ)は模範的な父親でした。彼は自分の子どもたちに、優劣をつけたりはしませんでした。娘のファーティマを目にすれば、彼女を座らせるために自ら席を立ち、いつくしみをもって彼女にキスをし、抱きしめました。[2] 自分の子どもたちばかりではなく、すべての子どもたちに対して思いやりをもって接していました。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)の庇護の下に育ったアナスは、次のように語っています。「私は10年間、彼に仕えましたが、彼が私に対して乱暴な言葉を使うことはありませんでした」。[3]

尊敬すべきムスリムの皆様!
子どもたちは、私たちが彼らに心を配り、思いやることを期待しています。私たちにとり子どもたちが、価値ある存在であるということを実感したいのです。私たちは、子どもたちにとり道を歩むためのコンパスであり、人生において学びを得る際には、安心してとどまることのできる港でなくてはなりません。ですから日々のあわただしさや生計を立てることに追われて子どもたちを無視することのないようにしましょう。宗教や故郷の、また人類全体の助けとなれる子どもを育てるために、あらゆる努力をしましょう。子どもたちが受け取るべき私たちの愛情、思いやり、そしてドゥアを、取り上げてしまうことのないようにしましょう。

[1] Tirmidhi, Birr, 33.
[2] Ebû Dâvûd, Edeb, 143, 144.
[3] Muslim, Fadail, 51.