東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「クルアーンの序章、アル・ファーティハ」

尊敬すべきムスリムの皆様!
アル・ファーティハ章は、私たちの神聖な書、聖クルアーンの序にあたります。礼拝におけるすべてのラカートで、私たちはこの章を暗唱します。それは預言者ムハンマドが、次のように語ったとおりです。「アル・ファーティハ章を暗唱せずに礼拝をしたなら、その礼拝は不十分であり完全ではない」。[1]アル・ファーティハ章は、しもべと主との心からのコミュニケーションであり、いつでもこれを唱えるときは、全能のアッラーが「われのしもべの願いは、何であれ聞き届けられるだろう」[2]と告げておられるのを知り、私たちは心のやすらぎを得るのです。

親愛なるムスリムの皆様!
アル・ファーティハ章の暗唱はバスマラ、すなわち慈愛あまねく、慈悲深いアッラーの御名においてという言葉から始まります。アッラーの御名を想い起こすことなく始められた行いは、すべて不十分であり完全ではないこと、神のゆたかな祝福を欠いていることを、私たちは知っています。さらに暗唱を続けましょう。
 اَلْحَمْدُ لِلّٰهِ رَبِّ الْـعَالَم۪ينَۙ 世界の創造主であり支配者である私たちの主(スブハーナ ワ タアーラー)に、限りない感謝のきもちとありがたさ、讃美と崇敬の念を表します。
اَلرَّحْمٰنِ الرَّح۪يمِۙ  主(スブハーナ ワ タアーラー)があまねく慈悲深い方であり、またとりわけ慈悲深い方であることを私たちは知っています。その恵みと慈悲は限りなくゆたかです。
 مَالِكِ يَوْمِ الدّ۪ينِۜ   主(スブハーナ ワ タアーラー)は裁きの日における唯一の主権者です。絶対の正義の所有者として、そのしもべに来世の報酬を授けることでしょう。
اِيَّاكَ نَعْبُدُ وَاِيَّاكَ نَسْتَع۪ينُۜ 私たちはただ主にのみ仕え、また主にのみ助けを求めます。なぜなら避難を求め、頼り、委ねるべき真の権威は主をおいて他に無いからです。
اِهْدِنَا الصِّرَاطَ الْمُسْتَق۪يمَۙ  صِرَاطَ الَّذ۪ينَ اَنْعَمْتَ عَلَيْهِمْۙ غَيْرِ الْمَغْضُوبِ عَلَيْهِمْ وَلَا الضَّٓالّ۪ينَ
アッラー、私たちの主よ。「まっすぐな道に、私たちを導いてください、あなたが恩寵を恵む者たちの道に、あなたの怒りを招く者の[]でも、さまよえる者の[]でもなく」。[3] アーミーン!

[1] Bukhari, Adhan, 95.
[2] Muslim, Salat, 38.
[3] Fatiha, 1/1-7.


https://youtu.be/GYeT1zDaJs8

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