東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「暴力と人間の尊厳は相容れないことについて」

尊敬すべき信仰者の皆様!
私たちの偉大な宗教であるイスラームによれば、男性か女性か、子どもか大人かに関わらず、誰であれその身体、人格、尊厳、純潔、そして名誉は不可侵とされています。これに従うなら、他人の生命や財産、または個人の権利を侵害しようとする人はいないはずです。他人の名誉と尊厳を危険にさらす権利は誰にもありません。生きものであろうとなかろうと、害を及ぼすような行動や態度をとってはなりません。

親愛なるムスリムの皆様!
暴力は、宗教、言語、人種、地域、社会的な地位といったものを持ちえません。原因が何であろうと、どのような形であろうと、暴力を容認することはできません。暴力をふるい、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)が不可侵であるとした生命を奪う抑圧者には、私たちの主(スブハーナ ワ タアーラー)からの怒り、天使と、天地にあるものすべてからの嫌悪が向けられるでしょう。彼らには、現世においてはただ恥辱だけがあり、来世において行きつく先はただ地獄だけとなるでしょう。

親愛なる信仰者の皆様!
私たちの宗教によれば、もっとも重要なのは思いやりと、いつくしみの心をもって生きてゆくことです。アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)が無垢なものとした魂に背いたり、傷つけたりしないことです。この点について、私たちの聖典クルアーンには次のように記されています。 「誰であれ人を殺したか、地上に退廃を広めたというのでもないのに、人ひとりの命を奪った者は、すべての人々をことごとく殺したのと同様である。また、人ひとりを生かした者は、すべての人々をことごとく生かしたのと同様である[1]

私たちに課されているのは、常に愛をもって自らを守り、思いやりと良心に基づいて行動することです。自分たちの生活から、やさしさ、愛、親切な気持ちを、絶やすことのないようにしなくてはなりません。暴力に訴えることは言うまでもなく、心を傷つけることは、カアバを壊すことよりも重い罪であることを、決して忘れてはいけません。私たちは、自分たちがあり一匹を害することさえ控えた人々が築いた文明の相続人であるということを、常に自覚していなくてはなりません。

全能の主(スブハーナ ワ タアーラー)が私たちを、まずは私たちの心の中で、それから地上のすべての場所で、慈悲をもっとも高くに掲げられるよう祝福してくださいますように。

[1] Ma’idah, 5/32.


東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「暴力と人間の尊厳は相容れないことについて」.(PDF)

とうきょうジャーミイ きんようれいはいのホトバ (ひらがな と カタカナ PDF)