東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「体と心の浄化:清潔さについて」

金曜礼拝のフトバ

尊敬すべきムスリムの皆様!
全能のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、聖クルアーンを通してウドゥ(小浄)、グスル(沐浴)、タヤンムム(水を使わない浄め)についてお命じになった後に続けて次のように告げておられます。「アッラーはあなたがたに、難しいことをさせようとしているのではない。ただあなたがたを浄め、あなたがたへの恩寵をまっとうしようとしている。あなたがたは、感謝するようになるだろう」。1

また私たちの預言者ムハンマド・ムスタファ(彼の上に祝福と平安あれ)は、ハディースの中で次のように語っています。「アッラーはあらゆる種類の不完全さと無縁であり、行動においても言葉においてもきちんとしているしもべを愛したもう。御方は清らかであり、清らかなしもべを愛したもう」。2

尊敬すべき信仰者の皆様!
イスラムは、その本質(フィトラ)と生き方とにおいて、あらゆる方法での物質的・精神的な浄めを勧めている宗教です。世界は絶えず新たに創造され、浄められた状態にあります。地上のすべての生きものは、本質的に自らを浄めようとするものです。しかし浄めについて言うなら、人間には、あらゆる生きものの中で特別な地位と責任があります。なぜなら人間は最も貴い生きものとして創造されているからです。しかし実際には、人間は、大自然を浄めもすれば、逆に汚しもしています。

尊敬すべきムスリムの皆様!
ヒラーの洞窟で黙想の日々を過ごした後で、私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)が啓示を授かり、預言者の使命という名誉を与えられたとき、彼は次のように命じられました。「あなたの衣を清浄にしなさい。汚れを避けなさい」。3 身に着けている衣類が古くても、まったく問題ではありません。しかし汚れていればそれは問題です。たとえどこにいようとも、信仰者は清潔さ、上品さ、そして清潔さの模範であるべきです。汚れた服を着ている人に会うと、アッラーの使徒(彼の上に祝福と平安あれ)は「この人は、自分の着るものを洗うことができないのだろうか」4 と仰ったものでした。 体や身に着けるものを洗うことに加えて、身の回りの清潔さにも注意を払い、信仰者にとっては崇拝の場でもあるこの世界をきれいに保つことは、宗教上の、そして人間としての義務であります。

尊敬すべき信仰者の皆様!
清潔さとは、非物質的な汚れからの浄めも意味しています。これは信仰者にとり、イスラムの光によって照らされている自分の心を、暗闇と悪から守ることを意味します。それはごう慢、偽善、妬み、嘘、物惜しみといった悪病から心を回復させ、謙虚さ、誠実さ、寛大さ、思いやり、良心といった美しい性質をもって心を飾ることを意味します。自分のしていることを、常にハラール(合法)なあり方へと向けることを意味します。自分のしてしまったことを、常に悔い改めることによって罪の重荷を取り除くことを意味します。私たちの全能の主(スブハーナ ワ タアーラー)は、聖クルアーンを通して告げておられます。「悔い改める者、奉仕する者、称賛する者、旅に出る者、頭を垂れる者、ひれ伏す者、親切を勧め、非道を禁じる者、アッラーの禁令を守る者。[これらの]信仰者たちに、良い報せを伝えなさい」。5

尊敬すべき信仰者の皆様!
清潔であること、身だしなみを整えることは、私たちの信仰に必要なことであります。現世と来世の幸福を望む信仰者として、私たちは清潔さと道徳の模範であれるようにしましょう。私たちの宗教が命じている通り、物質的・精神的な清潔さの基準に注意を払うようにしましょう。私たちの見た目が、他の人々にとっても望ましいものであるようにしましょう。私たちの言葉や行為によって平安と信頼を得られるようにしましょう。私たちの清潔さをもって、私たちの信仰の証(あかし)にしましょう。私たちの内面も、外面も、そして周囲も清潔に保つようにしましょう。


[1] Ma’idah, 5/6.
[2] Tirmidhi, Adab, 41.
[3] Muddaththir, 74/4-5.
[4] Abu Dawud, Libas, 14.
[5] Tawbah, 9/112.

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