اتَّخَذُواْ أَحْبَارَهُمْ وَرُهْبَانَهُمْ أَرْبَابًا مِّن دُونِ اللّهِ وَالْمَسِيحَ ابْنَ مَرْيَمَ وَمَا أُمِرُواْ إِلاَّ لِيَعْبُدُواْ إِلَهًا وَاحِدًا لاَّ إِلَهَ إِلاَّ هُوَ سُبْحَانَهُ عَمَّا يُشْرِكُونَ ﴿٣١﴾

兄弟、姉妹の皆様!

ある時、教友たちと共にいた私たちの預言者(彼の上に平安あれ)が、聖クルアーンから、ある章句を暗誦なさいました。それはイスラーム以が下される以前の宗教に属する人々が、いかに神の宗教をゆがめたかについての章句でした。「かれらは、神をおいて律法学者や修道士を自分の主となし、またマルヤムの子マスィーフを(主としている)。しかしかれらは、唯一なる神に仕える以外の命令を受けてはいない。かれの外に神はないのである。かれらが配するものから離れて(高くいます)かれを讃える」。

預言者が章句を暗誦し終えると、キリスト教からイスラームに改宗したある教友が言いました。「神のみ使いよ!私たちは、彼ら(律法学者や修道士)に仕えていたわけではありません」。すると預言者は彼にこうお尋ねになりました。「彼らは、自分たちが望むままに何が合法か、何が非合法かを決めている。そしてあなたは、それに従っていたのでしょう?」。彼は答えました。「はい、仰る通りです」。すると預言者はこう告げられました。「それこそが、この章句の意味するところです」。

 愛すべき兄弟、姉妹の皆様!

この章句は、歴史を通じて人類が逸脱し、自分たちの宗教的な理解や見解を紛れ込ませ、変節してきたことを私たちに示すものであります。こうした逸脱や変節を起こさないためにも、全能の主は、アダム(彼に神のご満悦あれ)に始まり私たちの預言者ムハンマド・ムスタファ(彼の上に平安あれ)に至るまで、かれの祝福されしみ使いを通じて、タウヒードすなわち<唯一性>の信仰へと人類を招いておられるのであります。

タウヒードすなわち<唯一性>に対する信仰、それはまっすぐな道であります。この道には服従があります。 帰依があります。奉仕があります。それらはすべて、ただ神に対してのみ捧げられるものであります。この道は率直さの道、正直さの道であります。シルク(複数の神に仕えること)やクフル(神に対する感謝を忘れること)、また偽善や二面性を抜きにして、あるがままの自分自身であれという道であります。この道には道徳があります。美徳があります。そして誠実さがあります。この道には過ちの代わりに正しさが、背信の代わりに忠誠があります。この道には目的があり、正義があります。永続するのは正しさによってであり、逸脱や破壊、傲慢さや冷淡さではありません。

愛すべき兄弟、姉妹の皆様!

全能の主のまっすぐな道においては、徳高き「清廉潔白で疑う余地のない」人物など、預言者たちをおいて他に誰ひとりとしていません。このまっすぐな道においては、預言者たち以外の誰かが、特別な選ばれし人物として見なされることはあり得ないのです。誰かの言葉や書籍、行為などが神聖視されたり、真の知識として扱 われたりすることはありません。このまっすぐな道において、神への反抗心を抱きつつ帰依することなど不可能なことであります。クルアーンとスンナの定義によって支えられているものこそ、絶対的な帰依と忠誠の原則であります。

Friday Prayer - Jumuah Khutba 「Those Who Forgot Allah Will Be Forgotten」
Friday Prayer – Jumuah Khutba 「The Straight Path」

兄弟、姉妹の皆様!

来世における結末は、現世における自らのふるまいによって定められるのだということを思い起こしましょう。自らの責任や釈明の重荷を、他人に背負わせることは誰にもできません。大いなる(審判の)日、私たちの希望となるのは忠実な信仰、誠実な意図、本当の知識、善良な行ない、そして落ち着きのある深い心のみであります。全能の主の憐れみのみが、私たちの唯一の避難所であります。

全能の主が私たちを、常に自らの責任に注意を払い、自らの義務を意識するしもべの一人として認めたまい、 主の憐れみに浴する栄誉を授けて下さいますように。全能の主が私たちを、一瞬たりともこのまっすぐな道から逸らしたもうことがありませんように。私たちの宗教の価値や信仰を、私たちのイスラームを、壊そうとしたり、悪用したりする人々を、全能の主は決してお見逃しになることはないでしょう。

[1] At-Tawbah, 9/31.

[2] Tirmidhi, Tefsiru’l-Kur’ân, 9; Al-Bayhaqi, Sünenü’l Kübrâ, X,196.

[3] Al-Muwatta, Kader, 3.

[4] Al-Isra, 17/13-14.