يَا أَيُّهَا الَّذِينَ آمَنُوا اتَّقُوا اللَّهَ وَلْتَنظُرْ نَفْسٌ مَّا قَدَّمَتْ لِغَدٍ وَاتَّقُوا اللَّهَ إِنَّ اللَّهَ خَبِيرٌ بِمَا تَعْمَلُونَ ﴿١٨﴾

兄弟、姉妹の皆様!

クルアーンでは、全能の主は次のように宣言しておられます。「あなたがた信仰する者よ、アッラーを畏れなさい。明日のために何をしたか、それぞれ考えなさい。そしてアッラーを畏れなさい。本当にアッラーは、あなたがたの行うことに通暁なされる。」(集合章18節)

兄弟、姉妹の皆様!
ある金曜日のこと一人の男がモスクへやってきて、説教をさえぎりこう尋ねました。「おお、全能の主のみ使いよ。審判の日はいつ訪れるのですか?」。預言者の教友たちは、静かにするようにと身振り手振りで男に伝えました。しかし男は話し続け、同じ質問を三回、繰り返し尋ねました。金曜礼拝の先導を終えると、預言者は集まった人々の方を振り向いて「審判の日がいつ訪れるのか、質問した者はどこにいるのか」と 言われました。男は、自ら名乗り出ました。すると預言者は、「それで、審判の日のためにあなたは何を準備 したのか」とお尋ねになりました。男は答えました。「私がなし遂げたことなど、さほど多くはありません。 それでも、私は神を愛しています。全能の主のみ使いを愛しています」。人間は、自分が愛している誰かと一 緒にいるものです。そのようにして自分もまた、自分を愛してくれている誰かと一緒にいるものなのです。(ティルミズィー, ズフド50)

預言者の行ないと教えからなるこのハディースは、私たちが何を為したかを問われる大いなる日のために常に備えていなければならないことを強く語りかけてきます。審判の日がいつ訪れるかよりも、その日のために準備することこそがより大事なのです。また備えるということは、全能の主と預言者を愛し、神と預言者が望まれる通りの人生を送ることであります。

親愛なる信仰者の皆様! 私たちの全能の主は、クルアーンにおいて、私たちは理由もなく造られたわけではないこと、私たちは放っておかれているわけではないこと、そして私たちは死後、再び新たな生を授けられることを告げておられます。 現世における生が、私たちを誤った方向へ導くものであることを常に思い起こさせます。審判の日のない世界など、虚栄と享楽だけの 単なる戯れに過ぎないことが強く説かれているのです。

兄弟、姉妹の皆様!

現世における生は、永遠へと至る道の途中でほんの少し立ち止まる場所に過ぎません。現世において勝ち取るべきは、来世における永遠の生であります。現世が試練の場所ならば、最後の審判の日とはその後の天国と地 獄を分かつ正義が示される場所であります。その日、私たちのなし遂げた善行には報奨が授けられ、悪行には 懲罰が下されます。その日、ほんのわずかなことでさえ不公平な扱いに苦しめられる者は誰ひとりとし ていません。

このように考えて生きる人は、男女の別なく、自分の行ないを堂々と申し述べられるよう常に自らに試練を課すことでしょう。全能の主に釈明を求められるその日を思い、悪行や誤った行為を避け、アッラーの御満悦がありますようにと、常に思いやりと善良さに満ちた人生を送ろうと心がけま しょう。

Friday Prayer - Jumuah Khutba 「Those Who Forgot Allah Will Be Forgotten」
Friday Prayer – Jumuah Khutba 「Faith In The Judgment Day」

兄弟、姉妹の皆様!

善行をなした人は、最後には審判の日に報奨を授けられます。それを見て、自らの善行の少なさを悔やむ者は どれほど悔やんでも悔やみきれないでしょう。天国とは、現世において種をまく庭であることをどうか忘れないで下さい。地獄に炎を運び入れるのは、実は私たち自身の手に他ならないのです。 次の祈りの言葉をもって、本日のホトバを終わりたいと思います。 「主よ、現世においては良いものを、来世においても良いものをお与えください。私たちを、業火の懲罰から お守りください」。 「神よ、死後における良い生をお与えください。人生において、善の上にも善を行なわせてください。死をもって、私が悪を行なわないよういましめてください」。

[i] Haşr, 59/18.

[ii] Tirmizî, Zühd, 50.

[iii] Bakara, 2/201.

[iv] Müslim, Dua, 71.