東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「水 – 生命と癒しの源について」

親愛なるムスリムの皆様!
水はアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)から私たちに授けられた、もっとも貴重な祝福のひとつです。聖クルアーンに記されているとおり、「水によって生あるものすべて」[1]は造られ、また水に頼って生きています。水は私たちの生命の、また私たちの住む大地の豊かさ、肥沃さの源です。水を通して、私たちの体には健やかさと清潔さが、環境には慈悲と美しさとがもたらされます。

尊敬すべきムスリムの皆様!
私たちの崇高な宗教であるイスラームは、水を無駄にすることなく、適切な量を使うよう命じています。実際に、ウドゥのために水を無駄に多く使っていた教友に対し、アッラーの使徒(彼の上に祝福と平安あれ)は「何というぜい沢をしているのですか」と注意しています。教友が「ウドゥをするのに、ぜい沢などということがありますか」と尋ね返すと、使徒(彼の上に祝福と平安あれ)は、「もちろん、たとえあなたが水の流れる川のほとりにいたとしてもです」と答えました。[2] 預言者(彼の上に祝福と平安あれ)によるこの警告は、たとえイバーダのためであろうと、水という貴重な祝福を無駄にしてはならないということを想い起こさせてくれます。

親愛なるムスリムの皆様!
たった一滴の清水さえ簡単には手に入れられない人が、この地上には何百万もいるのです。私たちは、ただ感謝するよりほかにすべがありません。「私たちを養い、私たちののどを潤し、私たちを満たし、逃れる場所を授けてくださるアッラーに称賛あれ」。[3]

感謝の気持ちの表れとして、祝福の大切さを理解しましょう。水を使うときは、そのことを意識しながら行動しましょう。必要以上の水を消費して、私たちの未来を危険にさらすことのないようにしましょう。他の生きものの権利を侵害するという罪を、犯してしまわないようにしましょう。

[1] Anbiya, 21/30.
[2] Ibn Majah, Taharah, 48.
[3] Muslim, Dhikr, 64.


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