ディヤーナト トルコ文化センター
ディヤネット・トルコ文化センターの歴史
歴史的資料によると、東京に定住したカザン・トルコ人たちは1925年に「マハッレ・イスラミエ」と呼ばれる協会を設立し、宗教的および民族的アイデンティティを守ることを目的としました。この協会での会合の結果、新しい世代に宗教的信仰と民族文化を教える必要があると判断されました。この決定に基づき、1927年に日本家屋を借りて「メクテブ・イスラミエ」という名前で学校として使用しました。この学校は日本で最初に開かれたムスリム学校でした。後にカザン・トルコ人たちはお金を出し合って土地を購入し、1930年に校舎兼礼拝所の建物を建設しました。この建物の一室は学校教育に必要な教材を準備するため印刷所に改装されました。ちょうどトルコでアルファベット改革が行われていた時期であり、イスタンブールの新聞社の印刷機がここに移されました。この印刷所「東京マトバーイ・イスラミエ」での最初の出版物は教科書でした。
1934年には、この印刷所で聖クルアーンが印刷されました。これは日本および極東で初めて印刷されたクルアーンであり、現在も東京ジャーミイ&トルコ文化センターに展示されています。この印刷所での聖クルアーンの印刷は長期間続けられ、印刷されたクルアーンは周辺諸国のムスリムにも送られました。1935年には、この建物は正式に小学校として使用され、印刷業務も継続されました。年月が経つにつれて老朽化したため、建物は解体され、2017年にトルコ共和国宗務庁によって現在のトルコ文化センターの建物が建設されました。
東京ジャーミイはオスマン様式のモスクとして建てられ、2階には女性用礼拝所があります。モスクの下には展示会場、責任者室、多目的ホールなどからなる文化センターがあります。隣接していた学校が解体された後、この土地に独立した文化センターを建設し、モスクの機能を向上させる計画が進められました。2017年5月19日に起工式が行われ、建設が開始され、2018年7月20日に日本ディヤネット財団に引き渡されました。この新しい建物は「トルコ文化センター」として公開されています。
ディヤネット・トルコ文化センターの特徴
東京ジャーミイ&ディヤネット・トルコ文化センターは、特に日本人をはじめ多国籍の人々が強い関心を示し、イスラム文化と芸術を学ぶ重要な拠点です。文化センターには教室、厨房、会議室など多様な機能を持つスペースがあります。
1階にはモスクと文化センターをつなぐ「ハラールマーケット」があり、日本のようにハラール製品が入手困難な国において、ムスリムにとって重要な場所となっています。また、トルコや他国の製品を試すために多国籍の来訪者も訪れます。
市場の向かいにあるキッチンは2つの区画に分かれた大規模な構造で、年間を通じて毎週金曜日の食事配布や、ラマダン中の毎日のイフタールの食事がここで準備されます。その他、料理やデザート作りなどのワークショップも開催され、日本人や他国籍の人々にも人気です。
地下には130人収容可能な会議ホールがあり、トルコブルーを基調としたデザインが採用されています。ここでは定期講義、セミナー、会議、コンサート、映画上映など様々なイベントが行われています。
文化センターの2階と3階には広いオリエンタルルーム、教室、事務所があります。オスマン建築を反映した「ディヴァン」と名付けられたオリエンタルルームは誰からも高く評価され、授業、会議、団体での対話の場として利用されています。
事務所や教室には東京ジャーミイに大きく貢献した人物の名前が付けられています。「アブドゥルレシッド・イブラヒム」教室はカザン・トルコ人たちによる図書館や会議室として使用され、「エンヴェル・アパナイ」教室は子どもたちに宗教と価値観を教える場所として小さな家具で飾られています。「アブドゥルハイ・クルバナリ」と「テミムダル・ムヒット」の教室は芸術や宗教教育に使用され、中央のスペースには大規模で充実したイスラム学図書館の建設が予定されています。
東京ジャーミイ&ディヤネット・トルコ文化センターは、建設当初から多くの人々に支えられてきた記念碑的な存在であり、今日でもあらゆる年齢・国籍の人々が集い、交流する場所です。礼拝、学び、社会的つながりを持つことができる場であり、宗教と世の中がイスラムの本質において調和しているというメッセージを伝える好例として存在し続けています。
| Prayer | Time |
|---|---|
| Fajr | 04:39 |
| Sunrise | 06:06 |
| Dhuhr | 11:25 |
| Asr | 15:05 |
| Maghrib | 16:43 |
| Isha | 18:05 |




