東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ 「永遠へと旅立つ者との別れについて」
親愛なるムスリムの皆様!
私たちの崇高な宗教であるイスラームは、人間は生前においても死後においても本質的に価値ある存在であり、名誉と尊厳に値します。生まれたばかりの赤ん坊に産湯を使い、産着にくるみ、愛情のこもった腕に抱いてアザーンとイカーマ、祈りをもって迎え入れるのと同じく、死に際しても、人は湯灌を使い、布にくるまれ、誰かの手によって運ばれ、サラーと祈りをもって別れを告げられます。死は終わりではなく、永遠の生の始まりを意味します。ムスリムにとり、死はアッラーの無限の祝福と報奨への旅の最初の停留所です。死は楽園の入り口であり、愛する人びとと斎戒する祝福の帰郷です。
親愛なる信仰者の皆様!
私たちには、亡くなった兄弟、姉妹に対して果たすべき宗教的な義務と人間としての義務とがあります。第一の義務は、死者の尊厳とプライバシーを尊重しつつ、死者を浄め、布でくるむことです。第二の義務は、兄弟、姉妹のために葬儀の礼拝を行い、それから永遠の旅路へと旅立った人に別れを告げ、敬意と厳粛さをもって送り出すことです。葬儀の礼拝は、男性が前に、女性が後ろに立って行います。葬儀の最中に口論をしたり、拍手や音楽で故人を送り出したり、花輪や聖像で礼拝の場を飾ったりすることは、私たちの宗教ではありません。もうひとつ、私たちに課されている責任とは、亡くなった兄弟、姉妹の罪が赦されるようアッラーに願い、故人のために祈り、故人のために証言することです。私たちの預言者(saw)は、死者の行いについて証言することの大切さを強く訴え、「称賛される者は天国を与えられ、批判される者は地獄を与えられる。あなたがたは、地上におけるアッラーの証言者である」1 と語っています。
親愛なるムスリムの皆様!
故人の遺族に弔意と哀悼の意を表し、悲しみを分かち合い、クルアーンを朗読して彼らの心をなぐさめることも、イスラームの同胞としての義務となります。しかし、弔意を示す際には注意すべきこともあります。イスラームにおいては、弔意は3日を超えてはなりません。遺族が多額の費用を費やしたり、弔問客のために食事を準備したりするのは適切ではありません。弔意の期間中、親戚や隣人たちが個人の家族や来客のために食事を用意することはスンナにあたります。たとえば、アッラーの使徒(saw)は、おじの息子ジャアファルがムウタの戦いで殉教したという報せを受けたとき、「ジャアファルの家族のために食事を用意しなさい」2 と命じたと伝えられています。
親愛なるムスリムの皆様!
イスラームの教えに従って、永遠の世界への最後の旅路に出発した兄弟、姉妹に別れを告げるようにしましょう。愛情をもって故人を偲びましょう。彼らのために、できる限りの慈善や善行につとめましょう。彼らの名前が生き続けるよう、彼らのための祈りの源であり続けるようなはたらきをしましょう。そうすることで、来世へと旅立った人びとの行いの記録が開かれ、記録され続けるようにしましょう。
本日の金曜礼拝のホトバを、生と死の目的を説いている次の章句をもって終わります。 「言いなさい。「本当に、私の礼拝も、私の奉仕も、私の生も、私の死も、諸世界を統べる主アッラーのためにある。」3
[1] Muslim, Jana’iz, 60.
[2] Tirmidhi, Jana’iz, 21.
[3] An‘am, 6/162.
Prayer | Time |
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Fajr | 04:03 |
Sunrise | 05:29 |
Dhuhr | 11:45 |
Asr | 16:13 |
Maghrib | 18:02 |
Isha | 19:23 |