東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「宗教と学問」
親愛なるムスリムの皆様。
人がこの世界で、安定した、幸福な日々を過ごすためには、宗教上の意義と、学問上の活動双方を必要とします。
宗教は、偉大なアッラーとの間の結びつきを整え、何をやるべきか、何を避けるべきかということを私たちに教え、善行と罪、ハラールとハラームの知識を与えるものです。だから、宗教の意図とは、人間とアッラーとの結びつきを形成し、真の意味での幸福に到達するよう助けることなのです。
学問とは、自然の存在や出来事について、どのようなものでありどのように作用するのかを見出し、解き明かす活動です。人間は自らの行動の責任を負うべく創造された存在である以上、その周囲で起こっている出来事に対して無関心でいることはできません。だから人間が学問に対して否定的な態度をとることは考えられないことなのです。聖クルアーンは、アッラーの存在の論拠であるこの世界に人々の注意を引きます。一部の興味深い自然界の出来事を説き、これらについて考えるよう呼びかけているのです。雌牛章では、偉大なるアッラーは次のように仰せられておられます。「本当に天と地の創造、昼夜の交替、人を益するものを運んで海原をゆく船の中に、またアッラーが天から降らせて死んだ大地を甦らせ、生きとし生けるものを地上に広く散らばせる雨の中に、また風向きの変換、果ては天地の間にあって奉仕する雲の中に、理解ある者への(アッラーの)印がある。」(雌牛章第164節)
親愛なるムスリムの皆様。
この世界は、調和が取れ、読みとること、理解することが可能な均衡と基準のもとに創造されたものです。これは、崇高なるアッラーからの、人間への最大の恵みです。なぜなら、この世界を支配するものが不均衡や理解不能なものであったとしたら、私たちの惑星は、人間にとって安らぎを与える命のゆりかごとはなっていなかったはずだからです。
イスラームは人々に、頭を使い、この世界における作用に存在するある法則、基準を見出すことを命じています。このようにして、アッラーのお力、崇高さを人々に示すことを、道徳的なひとつの任務として負わせているのです。聖クルアーンは、また、「全ての知者の上に全知なる御方はいる。」(ユースフ章第76節)と説き、知識が無限であるということを示しています。
イスラームは、新しい発展を奨励する原則に満ちた教えです。だから、私たちを日々進歩させる知の探求に重きを置くことが、ムスリムとしての宗教上の感覚に必要不可欠なのです。ただし、学問が常に、人間的、道徳的価値を尊重する方向に進むことにも、重きを置く必要があります。
親愛なるムスリムの皆様。
知識は、この時代においてもっとも有効で影響力のある力の源であることを忘れないようにしましょう。知識を多く得ている人が誰であれ、その人がより力強い、影響力のある立場に立つのです。単なる体力的な強さは、知的な強さに対しとっくにその影響力を失ったのです。知る者と知らない者が同等ではない、ということをずっと以前から明らかにしてきた聖なる書は、この状態を示しているのです。
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