東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「崇拝(イバーダ):魂のやすらぎ、社会の平安」
尊敬すべきムスリムの皆様!
ホトバの冒頭に朗読した章句において、全能の主は次のように命じておられます。「あなたの主に仕えなさい、確信すべきものが訪れるまで。」1
また、ハディースにおいては、私たちの預言者(saw)は以下のように語っています。「しもべに対するアッラーの権利とは、彼らがアッラーを崇拝し、何ものをアッラーに並置しないことである。もし彼らがそのようであったなら、アッラーに対するしもべの権利とは、アッラーが彼らを罰することなく楽園に迎え入れることである。」2
親愛なる信仰者の皆様!
崇拝(イバーダ)は、やすらぎをもたらす聖なる規律です。人の人格を形づくり、魂を成熟させ、道徳を磨き、心を教え導くものです。以下の章句にوَمَا خَلَقْتُ الْجِنَّ وَالْاِنْسَ اِلَّا لِيَعْبُدُونِ 「われがジンと人間を創造したのは、われに仕えさせるために他ならない」3 とあるとおり、崇拝こそ私たちの創造の目的であり、服従のもとめです。
尊敬すべきムスリムの皆様!
崇拝とは、アッラーがそのしもべに課す重荷ではなく、祝福です。崇拝は、私たちに忍耐と、時間の有効な使い方とを教えてくれます。ナフスの狭量さから私たちを守り、助け合い、分かち合う精神を植え付けてくれます。そして共同体(ウンマ)への帰属意識を育み、私たちのあいだにある同胞愛の絆を強めてくれます。つまり、崇拝の行為は私たちを、家族、地域、そして社会全体にとって有益な人間へと変えてくれるのです。
親愛なる信仰者の皆様!
私たちの宗教は、人生のあらゆる瞬間を、崇拝の意識をもって生きるよう私たちに呼びかけています。このことについてクルアーンは私たちに注意を払うよう、次のように告げています。
قُلْ اِنَّ صَلَات۪ي وَنُسُك۪ي وَمَحْيَايَ وَمَمَات۪ي لِلّٰهِ رَبِّ الْعَالَم۪ينَۙ 「言いなさい。「本当に、私の礼拝も、私の奉仕も、私の生も、私の死も、諸世界を統べる主アッラーのためにある。」……」4 アッラーが定めた崇拝の行為を無視することなく、自分自身と家族のため、ハラールな生計を立てるため、熱心に働くこと自体、すでに崇拝の行為です。正直に働き、他人を騙したりすることなく、高利貸し、虚偽、蓄財といった罪に手を染めることなく、個人や公共の権利を侵害することなく働くことも、崇拝の行為のひとつです。
親愛なる信仰者の皆様!
アルハムドゥリッラー、金曜には私たちのマスジドは満員になります。日々の礼拝においても、同じ献身を示すようにしましょう。日々の礼拝は私たちを悪から遠ざけ、善へと導いてくれます。平和、調和、そして同胞愛の象徴であるマスジドで、肩を並べて祈りましょう。家族と共にマスジドに通いましょう。思いやりのある言葉、穏やかな励ましを通して、子どもたちをマスジドに慣れさせるようにしましょう。私たちは、単に富を蓄えたり、身分や地位を求めたり、生涯を遊びや娯楽に費やすために創造されたのではないことを忘れてはなりません。崇拝なくして私たちの信仰は完成しません。私たちの得たものも祝福を受けることはないでしょう。真実の平安は家庭に存在するのではありません。善良な人格によって彩られた崇拝こそが、私たちの人生に意味を与えるのです。これによってこそ、私たちはアッラーの御目に価値あるものとなるのです。全能のアッラーの警告は、完全に明らかです。
قُلْ مَا يَعْبَؤُ۬ا بِكُمْ رَبّ۪ي لَوْلَا دُعَآؤُ۬كُمْۚ 「言いなさい。「あなたがたが呼びかけないなら、どうして主があなたがたを気にかけるだろうか。」……」5
[1] Hijr, 15/99.
[2] Muslim, Iman, 48; Bukhari, Jihad, 46.
[3] Dhariyat, 51/56.
[4] An’am, 6/162.
[5] Furqan, 25/77.
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とうきょうジャーミイ きんようれいはい の ホトバ「すうはい(イバーダ):たましいのやすらぎ、しゃかいのへいあん」PDF
Prayer | Time |
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Fajr | 03:41 |
Sunrise | 05:11 |
Dhuhr | 11:42 |
Asr | 16:21 |
Maghrib | 18:13 |
Isha | 19:37 |