東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ 「無私の頂点、『イーサール』について」
尊敬すべきムスリムの皆様!
私たちの崇高な宗教イスラームの根本的な目的のひとつは、全能のアッラーのために互いに愛し合い、助け合い、善行を競い合う、徳の高い人々から成る社会を築くことです。イスラームはそのための道筋も示しています。この道とは、愛と同胞の絆に基づき、利己心や物惜しみ、嫉妬といった否定的な性質から人を浄化する、「イーサール〔ithar〕」という意識です。
親愛なる信仰者の皆様!
イーサールとは、ただ全能のアッラーのお喜びを求めて、自分にできる限りの力を尽くし、他者の必要を満たそうとすることです。自分自身のことと同じように、あるいはそれ以上に、他者のために心を配ることです。思いやり・慈しみ・忍耐をもって両親や配偶者、そして子どもたちの心に喜びをもたらすことです。私たちが暮らす社会の幸福と善のために、時には自分の財産や安楽を放棄することであり、私たちが暮らす社会の幸福と善のために、時には自らの財産や安楽を放棄することもあれば、隣人や親戚、そしてガザで抑圧されている兄弟姉妹を支えることもあります。物質的にも精神的にも、援助の手を差し伸べることを決してためらわない――それがイーサールです。
尊敬すべきムスリムの皆様!
私たちは預言者ムハンマド(saw)と、そと、その気高い教友たちから、もっとも模範的な無私のあり方を学びました。彼らはあらゆる困難に耐え、人々の心がイスラームへ向かうよう全身全霊で努力し、絶えず他者のために全能のアッラーへ祈りを捧げました。彼らこそ、次の章句を体現した人々です。「…貧しい者や孤児、捕虜を養う[ことに費やす]。「私たちがあなたがたを養うのは、ただアッラーの御顔のため。あなたがたからの報酬や感謝を欲しているのではない」。…」1
親愛なる信仰者の皆様!
愛する預言者(saw)は、は、あるハディースにおいてこう述べています。「自分のために望むことを、同胞のためにも望むようになるまでは、あなたがたは真に信仰したことにはならない。」2
イーサールに沿って生きるとは、「高潔と篤信をもって助け合いなさい」3 という神の呼びかけに応じ、困っている人がいればどこにいようと駆けつけ、互いの人生をより生きやすくすることです。すべての人の心に平安と幸福をもたらし、親を失った子どもたちの祈りの中に、持たざる人々の笑顔の中に、自らの居場所を見いだすことです。
今週の金曜礼拝のホトバを、預言者ムハンマド(saw)の次のハディースをもって終わります。「同胞の必要を満たす者には、アッラーがその人の必要を満たしてくださる。」4
[1] Insan 76/8,9
[2] Bukhari, Iman, 7.
[3] Ma’idah, 5/2.
[4] Abu Dawud, Adab, 60.
| Prayer | Time |
|---|---|
| Fajr | 05:10 |
| Sunrise | 06:41 |
| Dhuhr | 11:35 |
| Asr | 14:50 |
| Maghrib | 16:28 |
| Isha | 17:54 |




