東京ジャーミイの歴史

日本のイスラーム教徒の 心の拠り所として

東京ジャーミイの歴史は戦前にまで遡ります。ロシア革命を逃 れ、日本へ避難して来たカザン州のトルコ人たちの礼拝所を求め る動きが、日本政府の協力によって結実したのが1938年(昭和 13年)に竣工する東京回教礼拝堂です。この礼拝所は、その後、半世紀以上にわたり在日のイスラーム 教徒たちの心の拠り所となってきましたが、老朽化により1986 年に取り壊され2000年に東京ジャーミイ・ディヤーナトトルコ 文化センターとして生まれ変わり、現在に至っています。

1917年( 大 正6年 )、 ロシアで社会主義革命 が起き、同国内に居住 していた多くのイスラ ーム教徒たちは迫害を 受け、生命の危機を逃 れるために海外へと避難せざるを得なくなり ました。その中のカザ ン州のトルコ人たちは 中央アジアを経由して 満州へと移動、さらに韓国や日本へと安住の地を 求めて移住して来たのです。  東京や神戸に定住したトルコ人たちは気候の温 暖な日本の生活にすぐなじむことができました。

1922年(大正11年)の関東大震災の発生直後、アメリカ政府が東京在住の外国人を救助するため横浜港に特別船を用意したにもかかわらず、トルコ 人たちはその申し出を断り日本を離れることはあ りませんでした。同年、彼らはアブドゥルハイ・ク ルバン・アリを代表にマハッレ・イスラミイエ協会を設立し、のちに来日するアブドゥルラシード・イブラヒームらと共に日本政府との友好を深めて いったのです。  

東京で新たな生活を始めたトルコ人たちの悩み は子供たちの教育にありました。1928年(昭和3年)、 彼らは日本政府から学校設立の許可を得た後、メク テビ・イスラミイエと命名した学校を開設しました。 さらに日本政府の協力により東京の渋谷区に土地 を購入し、1935年(昭和10年)、その地に学校を移転、 1938年(昭和13年)には隣接した場所に彼らの悲願であった礼拝堂(東京回教礼拝堂)を建設するこ とができたのです。

以来、同礼拝堂は長きにわたって内外のイスラ ーム教徒の礼拝場としての役割を担ってきたので すが、1986年(昭和61年)、建物の老朽化に伴い取 り壊されることとなりました。そして、その跡地は マハッレ・イスラミイエ協会に代わり創設された 東京トルコ人協会によって、「ジャーミイ再建」を 条件に、トルコ共和国に寄付されることになった のです。

1997年(平成9年)、トルコ共和国宗務庁のもと に「東京ジャーミイ建設基金」が設立され、トルコ全土から寄付金が集められました。新しい礼拝 所の設計は、現代トルコ宗教建築の代表的建築家 ムハッレム・ヒリミ・シェナルプで、建設にあた ってはトルコ本国から約100人もの技術者や工芸職 人が来日し、建物本体や内装工事に従事しました。1998年(平成10年)6月30日に開始された東京ジャ ーミイの建設事業は、日本とトルコの関係者の尽 力により2年あまりで完成、2000年(平成12年)6月 30日に盛大な開館式典が執り行われ、東京ジャー ミイは礼拝所として、また人々が集う文明の対話 の場として、新たな歴史の一頁を開いたのです。

 

東京回教礼拝堂ならびに東京ジャーミイでは、下記のモスク責任者とイマーム(指導者)が任務に当たりました。

アブドゥルハイ・クルバン・アリ (初代責任者)

アブデュルレシト・イブラヒム (1938 ~ 1943年)

トゥルキスタンル・エミン・イスラム (1943 ~ 1950年)

シェリフッラ・ミフタヒュディン (1950 ~ 1969年)

アイナン・サファ (1969 ~ 1983年)

ヒュセイン・バシュ (1979 ~ 1983年)

ジェミル・アヤズ (2000 ~ 2004 年)

エンサーリ・イェントルク (2004 ~ 2011年)

ムラット・チェヴィッキ (2011 ~ 2012年)

ヌルラフ・アヤズ (2012 ~ 2013年)

ムハメット・ラシット・アラス (2013 ~ 2020年)

ムハメット・リファット・チナル (2019~      年)