東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ 「クルバン:アッラーとそのしもべに近づくために」

親愛なるムスリムの皆様!
朗読した章句において、全能のアッラーは次のように告げておられます。 「また、糧としてもたらされた家畜のけものの上にアッラーの御名を唱えるようにと、われらはすべての共同体に、それぞれの儀式を設けた。……」1

また、ハディースの中で、預言者ムハンマド(saw)は「アーダムの子孫は、犠牲を捧げる日に、アッラーのために家畜を犠牲にすること以上にアッラーにとり大切なことは行わない」2 と語っています。

親愛なる信仰者の皆様!
私たちの崇高な宗教であるイスラームの、もっとも偉大なしるしのひとつであるクルバンの崇拝まで、残りの日もわずかとなりました。全能の主が私たちに、健やかさと幸福、そして喜びのうちにイード・アル=アドハーを迎えさせてくださいますように。

クルバンとは、宗教的な基準に照らして裕福とみなされるムスリムが、イードの期間中、アッラーのために、犠牲としての条件を満たす家畜を屠る行いです。クルバンは、アッラー(swt)が私たちに授けてくださった数えきれないほどの祝福に対する感謝の表現です。それは、しもべとしてアッラー(swt)に近づき、命じられたことに従う努力です。それは、アッラーに対する私たちの愛が、他のすべての愛情を超えていることを示すしるしです。この世において持てるものすべてを、アッラーのために犠牲にする用意のあることを表しています。

親愛なるムスリムの皆様!
クルバンの崇拝には、単に家畜を屠ってその肉から利益を得ること以上に、はるかに深い意味があります。聖クルアーンでは、次のように表されています。لَنْ يَنَالَ اللّٰهَ لُحُومُهَا وَلَا دِمَٓاؤُ۬هَا وَلٰكِنْ يَنَالُهُ التَّقْوٰى مِنْكُمْ「アッラーに届くのはそれらの肉でも、それらの血でもない。あなたがたの篤信が届く。」3 犠牲を捧げることで、私たちは篤信を身につけ、主の命じることを行い、主の愛と喜びを得ることの平安を感じます。預言者(saw)のスンナを実践し、困窮したり、抑圧されたりしている人びとの家庭、心、食卓に愛を届けることの喜びを味わいます。優しさの扉を開き、親を失った子どもたちや、孤独な人びとの祈りに加わる幸福を経験するのです。

親愛なるムスリムの皆様!
トルコ宗務庁財団は、代理人を立ててクルバンのイバーダを行いたい個人の方のために、例年通り私たちの大規模な集団での奉仕を行います。「クルバンを分かち合おう、兄弟姉妹と手を取り合おう」を合言葉に、世界中の困窮者へのクルバンの食肉配布のみならず、皆様の善意からなる慈善の分配も行います。皆様からお預かりした犠牲の家畜は、イスラームの手順に従って正しく、透明性の高い方式で屠畜され、抑圧された犠牲者の人々や困窮している人々に、皆様のお名前において配布されます。このようにして私たちの同胞愛は強まり、暗く沈んだ心にもイードの喜びと幸せが、インシャアッラー 届くことでしょう。この場をお借りして、お集まりの皆様もこの慈善のキャラバンにお招きしたいと思います。どうぞ当財団の取り組みにご参加ください。アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)が健やかで平安な、幸福なイードを迎えさせてくださいますように。

全能のアッラーが、その御許において私たちの犠牲を受け入れてくださいますように。アッラーが、ガザの兄弟姉妹たちに、喜びと平和、安全をもってイードの朝を迎えさせてくださいますように。

[1] Hajj, 22/34.
[2] Tirmidhi, Adahi, 1.
[3] Hajj, 22/37.


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