東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「私たちはひとつのウンマ」

尊敬すべきムスリムの皆様!
ある日、預言者のマスジドで教友の何人かが議論していました。ジャーヒリーヤの価値観をもって、お互いの人種や部族の優劣を競い始めました。そのうちのひとりが、イラン生まれで、預言者(saw)からも高く評価されていたサルマーン・アル=ファーリスィーに、挑発的な態度で尋ねました。「あなたはどの部族出身ですか、どんな血筋ですか。」サルマーン(ra)は答えて言いました。「私はサルマーン、イスラームの子です。」それから続けて言いました。「私は迷える者でしたが、アッラーが預言者(saw)と共に導いてくださいました。私は貧しい者でしたが、アッラーがムハンマド・ムスタファと共に富ませてくださいました。私は奴隷でしたが、アッラーがその使徒と共に解放してくださいました。」これを聞いていたウマル(ra)は、その場に居合わせた人びとに、「私の部族を知りたいですか?」と尋ね、それから続けて言いました。「私はウマル。イスラームの子サルマーンのきょうだいです。」

親愛なるムスリムの皆様!
ムハンマド(saw)のウンマになるということは、「本当に、あなたがたのこの共同体が、あなたがたの唯一の共同体。そしてわれは、あなたがたの主である。それゆえ、われに仕えなさい」1 という章句を固く守り、タウヒードに基づいたイスラームの信仰を 受け入れるということです。それは、抑圧者に対しては団結して立ち向かうことに基づく同胞愛の信仰を受け入れるということです。
私たちの預言者(saw)のウンマになるということは、「あなたがたは、もっとも良い共同体として人々の中に立ち現れた。あなたがたは親切を勧め、非道を禁じ、アッラーを信じる。……」2 という章句に従い、正しく指導し、真理へと案内する者であることを意味します。それはすべての人びとに正義と善をもたらし、抑圧と悪の排除に努めるということです。
アッラーの使徒(saw)のウンマになるということは、ひとつの心、ひとつの体であることを意味します。信仰を共にする兄弟、姉妹を、敵のいいようにしておくことはできません。助けもせず、孤立させたままにすることはできません。人生のあらゆる場面において、預言者(saw)の「ムスリムは互いのきょうだいである。抑圧したり、抑圧者に引き渡したりしてはならない。……」3 というハディースを導きとして受け入れることです。
今週の金曜礼拝のホトバを、ウンマであることの責任を思い起こさせる、アッラーの使徒(saw)の次のハディースをもって終わります。 「互いに、必要以上にものの値段を吊り上げないように。互いに妬みあわず、憎みあわないように。互いを見捨てないように。アッラーのしもべたちよ、きょうだいでありなさい。」4

[1] Anbiya, 21/92.
[2] Ali ‘Imran, 3/110.
[3] Muslim, Birr, 58.
[4] Muslim, Birr, 28.


東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「私たちはひとつのウンマ」
とうきょう ジャーミイ きんようれいはい の ホトバ 「わたしたち は ひとつ の ウンマ」