東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ 「預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)の祈りの言葉」

金曜礼拝のフトバ

尊敬すべきムスリムの皆様!
全能のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、次のように告げておられます。「われのしもべたちが、われについてあなた[ムハンマド]に尋ねるとき、本当にわれは近くにいる。呼び求める者がわれを呼び求めるとき、われはその呼び求めに応じる。だから彼らをわれに応じさせ、またわれを信じるようにさせなさい。それで彼らも、正しく導かれるだろう」。[i]
それは私たちの心からの切望であり、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)への嘆願でもあります。主の全能の前には、私たちはか弱いという告白でもあります。それは私たちの、主のみ恵みと赦しへの避難であります。それは私たちが主に仕え、主に助けを乞うことであります。
アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)のお名前のひとつであるアル・ムジーブとは、ドゥア(嘆願)に応じる御方という意味です。主は私たち自身よりも私たちの近くにおられ、それが隠されたものであろうと現されたものであろうと、私たちのドゥアをすべて聞き、知り、応じたまいます。

親愛なるムスリムの皆様!
預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)のすべての行いには、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)に対する彼の愛と忠誠が込められています。彼は絶えず主に祈り続けていました。昼夜を問わず、大勢でいるときも一人のときも、幸福なときも、恐れているときも、悲しんでいるときも、来世について考え、答えに迷ったときも、彼は自分の部屋で、あるいはマスジドで、または旅の途中で、人生のあらゆる場面において彼はドゥアを捧げ続けました。彼の人生において、ドゥアとは一枚の布の中に織り交ぜられた糸であり、私たちにドゥアのあり方を教えてくれたのも彼なのです。

朝起きると、彼は次のドゥアをもって一日を始めました。「アッラーよ。あなたのお力によって私たちは朝を迎え、またあなたのお力によって私たちは夜を迎えます。あなたのお力によって私たちは生かされ、 死を迎え、あなたの御許に帰ります」。[ii]
一日中、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)のご承認を求めて過ごし、常に主に委ね、信じ、祈って言いました。「アッラーよ。私にとり良いものを授けてください。私にとり最善のものを選んでください」。[iii] また、「アッラーよ。現世においても来世においても良いものを私たちに授けてください。そして地獄の業火の苦しみから私たちをお守りください」[iv]  と、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)に乞い願いました。
そして一日が終わり、夜も更けたころには、彼は祈って言いました。「アッラーよ。私はあなたに求めます、今夜起こることと、それに続くことから生じる良いものをもたらしてください。私はあなたに求めます、今夜起こることと、それに続くことから生じる悪いものからお守りください」。[v]

尊敬すべきムスリムの皆様!
ムスリムであれば、祈りに対する答えはないといった考え方には決して同意すべきではありません。この点について、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は次のように語っています。「『アッラーに祈ったが、私の願いは聞き届けられなかった』などと言わず、忍耐づよくしていたなら、あなたがた一人ひとりの祈りはすべて聞き届けられることだろう」。[vi]
ですから、心からのドゥアであれば、すべては必ず答えられると信じましょう。尽きることのない聖なる祝福と平安を手放すことのないようにし、自信を持つようにしましょう。自分たち自身のために祈るのと同じくらい、家族のため、愛する者のため、ムスリムの兄弟姉妹のため、しいたげられた人々のために祈ることを忘れずにいましょう。自分たちの両親に加え、病気の方々、年長の方々、困難にある方々があなたのために捧げてくれるドゥアに、ふさわしくあれるよう努力しましょう。
本日のホトバを、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)の次のドゥアによって終わります。 「アッラーよ。私はあなたに願います、導き、敬神の念、充足という祝福をどうぞ私に授けてください」。[vii]

[i] Baqarah, 2/186.
[ii] Tirmidhi, Da’wat, 13.
[iii] Tirmidhi, Da’wat, 85.
[iv] Abu Dawud, Witr, 26.
[v] Muslim, Dhikr, 72.
[vi] Abu Dawud, Witr, 23.
[vii] Muslim, Dhikr, 72.