東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「クルバン:篤信の成就」

尊敬すべきムスリムの皆様!

全能の主(スブハーナ ワ タアーラー)は、次のように告げておられます。 「アッラーに届くのはそれらの肉でも、それらの血でもない。あなたがたの篤信が届く。……[i]

預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は、ハディースの中で次のように語っています。 「アーダムの子孫は、犠牲を捧げる日に、アッラーのために家畜を犠牲にすること以上にアッラーにとり大切なことは行わない」。[ii]

親愛なるムスリムの皆様!
クルバンとは、神との親密さ、アッラーに近づくための努力、信心を深めたいとの願い、そして恩寵の受け取り手となれるよう励むことを意味します。
クルバンとは、忠実であること、他の何かや誰かよりも、全能のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)を優先することです。
クルバンとは、服従を意味し、信仰者であれば自分の財産も愛するものも、すべてを喜んで差し出すことを示しています。
クルバンは、私たちの主(スブハーナ ワ タアーラー)が与えてくださった無数の祝福に感謝し、またそれらの価値を理解することを意味します。そのためには、人間の願望や欲望、貪欲さや強欲さに屈せず、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)と私たちの間の障害を取り除くことが必要です。

親愛なる信仰者の皆様!
クルバンはまた、同胞愛の感覚を育み、互いに助け合い、連帯する精神を高めることでもあります。信仰者の間に心の架け橋を築き、自分の国で困窮している人々だけではなく、世界中の、抑圧され、虐げられているすべての人々の希望の光となることです。私たちが犠牲にする家畜の取り分とは、私たちが食べて消費するものではなく、私たちが与えるべきものです。この点について私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)は、犠牲に捧げた家畜の何が残っているかを尋ねたとき、私たちの母アーイシャ(主のご満悦あれ)が「肩の他は何もありません」と答えると、بَقِىَ كُلُّهَا غَيْرَ كَتِفِهَا 「それは、肩以外はすべて残っているということだ」と応じました。[iii]

親愛なるムスリムの皆様!
トルコ宗務庁財団は、代理人を立ててクルバンのイバーダを行いたい個人の方のために、例年通り私たちの大規模な集団での奉仕を行います。「クルバンを分かち合おう、兄弟姉妹と手を取り合おう」を合言葉に、世界中の困窮者へのクルバンの食肉配布のみならず、皆様の善意からなる慈善の分配も行います。皆様からお預かりした犠牲の家畜は、イスラームの手順に従って正しく、透明性の高い方式で屠畜され、抑圧された犠牲者の人々や困窮している人々に、皆様のお名前において配布されます。このようにして私たちの同胞愛は強まり、暗く沈んだ心にもイードの喜びと幸せが、インシャアッラー 届くことでしょう。この場をお借りして、お集まりの皆様もこの慈善のキャラバンにお招きしたいと思います。どうぞ当財団の取り組みにご参加ください。アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)が健やかで平安な、幸福なイードを迎えさせてくださいますように。

[i] Hajj, 22/37.
[ii] Tirmidhi, Adahi, 1.
[iii] Tirmidhi, Sifat al-Qiyamah, 33.


東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「クルバン:篤信の成就」.(PDF)

とうきょうジャーミイ きんようれいはいのホトバ (ひらがな と カタカナ PDF)