東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「責任感あるムスリムであるために」

尊敬すべきムスリムの皆様!
全能のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、理性、尊厳、そして様々な責任を負う者として人間を創造されました。私たちの全能の主(スブハーナ ワ タアーラー)は、イスラムの原則として、すべての人間には生まれながらにして権利と責任が備わっているものとしました。その上で、責任を果たす人々には、現世と来世での幸福があるという喜ばしい報せをもたらしました。そうした責任のうち、もっとも上位にあたるのがイーマーン(信仰)です。

私たちムスリムには、何よりもまず全能の主、私たちの存在すべてを支える御方に対する責任があります。ムスリムにとってもっとも重要なつとめのひとつが、主(スブハーナワタアーラー)を心から信じ、愛をもって主(スブハーナワタアーラー)とつながり、従い、その戒めと禁じるところを正しく守ることにあります。

続いて、私たちには自分自身と周囲の人々に対する責任があります。ハラールなもの、すぐれたもの、正しく善良なものであれば、それらすべてを自分の人生に取り入れ、またハラームなもの、喜ばしくないもの、間違っているもの、悪いものはすべて遠ざけるよう努めなくてはなりません。私たちの主(スブハーナ ワ タアーラー)のご満悦とご承認、また私たちの主(スブハーナ ワ タアーラー)が私たち一人ひとりに預けてくださる心のやすらぎは、私たちの責任感にかかっていることを知らなくてはなりません。

親愛なる信仰者の皆様!
全能のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、聖クルアーンにおいて次のように告げておられます。 人間は、[何の目的もなく]そのままに放っておかれると思っているのか」。  [1] この通り、責任を果たさず、思考せず、何の原則も理想も持たない人生を送ることは、人間の本来あるべき姿ではないことは明らかです。あらゆる行為には、現世においてはその結果が、また来世においてはアッラーの報奨もしくは懲罰が伴うのです。

しっかりと礼拝を守ることがムスリムの責任であるのと同じように、慈悲深くあることもムスリムが果たすべき責任のひとつです。サウムを行うのと同じように、助けを必要としている人に手を差し伸べることも、人間としての、またムスリムとしてのつとめです。ザカートを支払うのと同じように、あらゆるものごとにおいて正直であること、不正とは無縁であることも、私たちからアッラーに対する奉仕という責任のひとつにあたるのです。

[1] Qiyamah, 75/36.


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