東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「アルクドゥス(エルサレム)、イスラムに属すイスラムの地」

尊敬すべきムスリムの皆様!
アルクドゥスは、最も深く根付いた人類の遺産を証明する普遍の価値そのものです。信仰を反映する姿勢の象徴であり、神聖な啓示に沿った方角であり、愛の方へと向かう場所です。それはイスラムの都市であり、そこには、多くの預言者たちの数えきれないほどの思い出があります。そこには、ムスリム最初のキブラであるアルマスジド・アルアクサーがあります。フトバの始まりに読んだハディースの中で、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は、次のように語っています。「アルマスジド・アルハラーム、アルマスジド・アルアクサー、そしてこの私のマスジド。この3つのマスジドのためでないなら、出かける準備をしないように」。[1]

親愛なるムスリムの皆様!
アルクドゥスは「ダールッサラーム(エルサレム)」、すなわち平和の地とも呼ばれます。何世紀にも渡り、アルクドゥスはムスリムの統治下における自由と正義の象徴でした。ムスリムだけでなく、あらゆる信仰の人びとが自由に礼拝を行い、平和に暮らせる土地として統治されてきたのです。
しかし侵略と占領を経て、依頼アルクドゥスはその平和で穏やかな雰囲気を失ってしまいました。アルクドゥスはいたましいことになっています。争いと屈辱、抑圧が災いし、アルマスジド・アルアクサーは悲しみに沈んでいます。この占領は、事実としてムスリムの団結と連帯、そして聖なる価値観を標的としています。ムスリムが自らの土地、自らのマスジドで礼拝をすることを妨げています。しかし、アッラーのマスジドを傷つけ、ムスリムが礼拝するのを妨げる人々については、聖クルアーンを通して次のように告げられています。「アッラーのマスジドで、その御名が想い起こされるのを妨げ、つとめてそれをとり壊そうとする者よりも不正な者があるだろうか。[そもそも]これらの者は、恐れることなくしてそこに入るべきではないのに。彼らには、現世においては恥辱があり、来世においては大いなる懲罰があるだろう」。 [2]

親愛なる信仰者の皆様!
パレスチナを、アルクドゥスを占領するということは、実際にはその地域だけではなく、世界中の平和を混乱によって妨げることを意味します。混乱をあおり、戦争を糧にするということは、実際にはいつくしみと良心、思いやりに背を向けることを意味します。歴史を通してすべての人類を受け入れてきた都市アルクドゥスからムスリムを追放することは、実際にはすべての人類の法と権利、名誉を無視することを意味します。
虐げられた人々の叫びが天にも届くとき、預言者ムハンマドのウンマに残されたただひとつの解決策とは、抑圧と占領に対して共に立ち向かうことです。誠実な姿勢と能力をもって自ら団結できた時にのみ、ムスリムたちは世界中で最も公正で最も慈悲深い力を形づくることができるでしょう。それは公平と信頼を求めるすべての人類の希望となるでしょう。

尊敬すべきムスリムの皆様!
エルサレム、アルクドゥスはイスラムの土地であり、それはムスリムに属しています。

[1] Bukhari, Fadhl al-Salat, 1.
[2] Baqarah, 2/114.


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