東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「人間は本質的に価値がある」

Friday Khutba

親愛なる信仰者の皆様!
人間は、地上においてもっとも価値ある被造物です。人間の価値とは、その見た目、財産や所有物、富や名声にはありません。人間には理性が授けられており、啓示もそれに向けられています。善と悪、正しいことと間違ったことを区別できる意志を持っています。愛や思いやり、慈悲といった喜ばしい感情で満たされるべき心を持っています。意識、意志、心に、信仰、崇拝、そして道徳が備わったとき、人間は自らの価値を高め、カーミルな(完成された)人間となることでしょう。

親愛なるムスリムの皆様!
人類は自分たちの尊厳と真の価値について、預言者(saw)から学びました。預言者 (saw) は、決して外見や富、財産、地位や権力といったもので誰かを判断することはしませんでした。同じ人間であるというただそれだけをもって、すべての人を大切にし、愛と敬意、思いやりと慈悲をもって接したのです。アッラーの使徒 (saw) は、障害の有無で人を排除するようなことは決してしませんでした。さまざまな困難を抱えた教友たちに細やかな気配りをし、常に援助していました。彼らの持つ知識や技術に応じて重要な役割を与え、それにより彼らを社会の中に包摂しようとしました。例として、目が不自由だったアブドゥッラー・イブン・ウンム・マクトゥームをマディーナにおける自分の副官にしたり、また、障害のある若い教友ムアーズ・イブン・ジャバルを知事に任命するなどしました。

親愛なる信仰者の皆様!
私たちの宗教に従うなら、障害とは、目が見えなかったり、話せなかったり、歩けなかったりといったことではありません。何が真実なのかわからないことが、本当の意味での障害であり、真実を語らないことが、本当の意味での障害なのです。真の障害とは、魂から信仰が失われ、心からイスラームが失われ、言動から善良な道徳が失われることなのです。それはアッラー(swt)のため、人類の利益のために自らの持てるものを使わないということを意味します。それは偽善のために誠実さを引き換えにすることです。つまり、本当の障害とは、自分で自分の価値を貶めることなのです。聖クルアーンは、こうした障害を抱える人びとについて、次のように説明しています。
「彼らは心がありながら理解せず、目がありながら見ず、耳がありながら聞きもしない。……」1

[1] A‘râf, 7/179.


東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「人間は本質的に価値がある」(PDF)
とうきょう ジャーミイ きんようれいはい の ホトバ (にんげん は ほんしつてき に かち が ある) (PDF)