東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「熟考に満ちた人生」

尊敬すべきムスリムの皆様!
全能のアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、次のアーヤを通してこのように告げておられます。この現世の生は、なぐさみとたわむれに過ぎない。本当に、来世の館こそが[真実、永遠の]生。もし彼らが、知ってさえいたなら」。[1]
また、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)はハディースの中でこのように語っています。「現世においては異邦人か旅人のように暮らしなさい」。[2]

親愛なる信仰者の皆様!
私たちは皆、それぞれ今 何歳であるかに関わらず、寿命と呼ばれる限られた残りの人生を有しています。やがて定められたその日が、一瞬たりとも早まることも、また遅れることもなく訪れます。アッラーが私たちから、私たちに委ねられていた命を召し上げたまい、私たちは皆、この現世を去ることになります。私たちが向かう復活の場所、自分の行ったすべてのことを申し開きするその場所には、私たちの信仰と、私たちの善行の記録の他に、持ってゆけるものは何もありません。

残された時間の価値に、人生の意味に、若さの重要さに、そして私たちが与えられている祝福と健康に対する感謝のきもちを持つことができたなら、どれほど幸運なことでしょうか。日々を無題にし、財産を贅沢に費やし、自分の心や体を損ね、自分の愛するものを傷つけ、あるべき姿で礼拝を行えないようなら、私たちは自らを恥ずべきでしょう。
新年が始まり、また人生の1年が過ぎ去り、また一歩終わりへと近づくこの時期にこそ、自分自身を深く見つめなおしてみましょう。去年一年のあいだに自分が何をしたか、また霊的にどのような豊かさを得られたか、自分が経験した神の試練について深く考えてみましょう。

親愛なるムスリムの皆様!
私たちは、預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)が「私の目の光」と呼んだ礼拝をしっかりと行うことが本当にできていたでしょうか。自分の過ちや罪に心苦しさを感じ、悔い改めることが本当にできていたでしょうか。虐げられた貧しい兄弟姉妹のために、一年を通して手を差し伸べ、助けることが本当にできていたでしょうか。クルアーンに沿って生きることが本当にできていたでしょうか。一年を通して慈善のため、アッラーの道のために献げる精神を守ることが本当にできていたでしょうか。そして分かち合うことに、本当に幸福を見いだせていたでしょうか。

親愛なるムスリムの皆様!
この現世での生は来世に続く道であり、人間は各々の責任を負った旅人です。そしてこの現世において定められた残りの日々は、挑戦的でありつつ貴重な旅でもあります。ですから、自分自身が現世における単なる旅人に過ぎないことを忘れないようにしましょう。私たちの究極の目的は楽園に入ることです。そのことを心に刻み、現世においては旅人として必要最低限のものだけを求める生き方を大切にしましょう。良心をもって有意義な行いをし、ものごとを深く考えるという宝を無駄にすることなく、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)にお認め頂けるよう毎日を過ごしましょう。

[1] Ankabut, 29/64.
[2] Bukhari, Riqaq, 3.


東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「熟考に満ちた人生」.(PDF)