東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ 「テクノロジーへの依存、ソーシャルメディア上の倫理」

Tokyo Camii Friday Khutba

尊敬すべきムスリムの皆様!
イスラムの教えは、地上において最も名誉ある存在となるべくして創造された人間の生命と財産、精神的な健康、尊厳、そして信仰の保護を保証することを主な目的としています。これら五つの価値は不可侵であるとみなされます。どのような理由であろうと、これらの価値が損なわれることは一切認められません。この制限は人生のあらゆる場面にあてはまるものであり、それはテクノロジー、インターネット、ソーシャルメディアを使用する際も同様です。

親愛なるムスリムの皆様!
テクノロジーを創出する人々は、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)から授けられた理性と資材を用いるにあたり、それらを正しい目的のために使うという責任を負っています。合法な取引ではなく賭けごとのために、適切な支出ではなくぜい沢のために、きちんとした生活ではなく不道徳のために、思いやりではなく暴力のためにテクノロジーを用いるのであれば、それは多いに間違っています。加えて、テレビやコンピュータの画面の前で時間をつぶしてばかりいるのは、自分自身、家族、およびアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)に対する責任を十分に果たしていないことになります。テクノロジーの発達によって仕事が高速化されれば、人間は多くの時間を得ることができるものと期待されていました。しかし現代においては、多くの時間を無駄に損失させる最大の罠となってしまっています。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は、私たちに対して次のように警告しています。「多くの人々が失ってしまう二つの祝福があります。それは健やかさと、時間です」。[1]

親愛なる信仰者の皆様!
インターネットとソーシャルメディアは、今やすべての人々の生活において最も重要な位置を占めており、だからこそ統制も節度もない、無責任な場に変質してしまうのを防ぐ必要があります。ムスリムにふさわしい態度とは、常に責任をもって行動し、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)の定めたもう限度をわきまえ、守ることであります。嘘をついたり、人の名誉を傷つけたり、中傷したりすることは、オフラインの世界では罪であるのと同じように、オンラインの世界でも罪にあたります。全世界の主としてのアッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、オンラインでの私たちのふるまいをも見守っておられます。私たちはオンラインで言ったり、行ったりしたことについても申し開きを求められることになるでしょう。アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、次のように告げておられます。 「あなたがたが知りもしないことの後を追ってはならない。本当に聞く耳と見る目、また諸々を感知する心は、それぞれ必ず問いただされることになる」。 [2]

親愛なるムスリムの皆様!
現代において、テクノロジーから完全に切り離された生活をするのは不可能です。実際のところ、イスラムの教えもそのようなことを求めてはいません。しかし人権と自由を侵害することなく、道徳的な原則の保持に注意を払いながら、ハラール(合法)とハラーム(禁止)を意識したテクノロジーを使用することが、大切な責任として私たち全員に課されています。その責任を果たすことによって、私たちはより生産的な時間を過ごし、より有意義な努力を払うことが可能になるのです。アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)が授けたもうあらゆる祝福の中に定められている限度と境界に従ってテクノロジーを使用する限りにおいて、私たちは世界をより良く、より平和な場所にすることができるかもしれません。

[1] Bukhari, Riqaq, 1.
[2] Isra, 17/36.