東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ 「アッラーとしもべの絆」

アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)は、次のように告げておられます。誰であれ善良な行いをし、その顔をアッラーにむける者は、最も信頼のおける把手を握る。[あらゆる]ものごとの結果はアッラーにある[1]

また預言者ムハンマドは、ハディースを通して次のように語っています。「誰であれアッラーに会いたがっている者には、アッラーも会いたがっておられる。誰であれアッラーに会いたがっていない者には、アッラーも会いたがってはおられない」。[2]

親愛なる信仰者の皆様!
私たちが存在していられるのは、ひとえに全能のアッラーのおかげです。かれの「在れ!」というご命令に応じて、天地とその間にあるものすべてが、世界において自分の居場所を得たのであります。私たちを無から創造し、そのお力とみ恵み、助けによって私たちを生かし、その祝福を通して私たちに試練を与えたまいます。

親愛なるムスリムの皆様!
アッラーのしもべが、アッラーに対して誠実な信仰を保っていれば、アッラーもしもべに対して満足なさいます。誠実な信仰を保つには、心の底からのイバーダ(崇拝)と、良い道徳に従って生活することが必要になります。イバーダ(崇拝)だけではなく、道徳的なふるまいによってもアッラーに対する愛と崇敬、従順さを示すのがムスリムであります。

親愛なる信仰者の皆様!
人はときに恩を忘れて利己的になったり、強引になったり、不注意をはたらくことがあります。私たちは単なるしもべであるに過ぎません。ときに私たちは、アッラーが常に私たちをご覧になり、聞いておられること、また私たちに善行を望んでおられることを忘れてしまうこともあります。知ってか知らずか、罪を犯したり、過ちを犯したりしてしまうこともあります。しかし何があろうと、私たちの唯一の避難先はただアッラー、慈悲深きもののうち最も慈悲深い御方の御許にのみあるのです。アッラーは赦す御方であり、また赦すことを愛したまいます。私たちが最後の息を引き取るまで、アッラー(スブハーナ ワ タアーラー)はその慈悲と赦しの扉をあけ放ちたまいます。そのことを、聖クルアーンを通して次のように告げておられます。自分の魂に反して踏み外したわれのしもべたちよ。アッラーの慈悲に絶望してはならない。本当に、かれこそは最もよく赦す御方、最も慈悲ふかい御方[3]

親愛なるムスリムの皆様!
クルアーンにおいてアッラーは次のように警告しておられます。また、あなたがたはアッラーを忘れ、そのために自分たち自身について忘れさせられた人々のようになってはならない」[4] この警告に耳を傾けましょう。アッラーと自分たちの間にあるこの主従の絆を、あるべき形で保ち、また強めるようにしましょう。正しいあり方で主に仕え、主にのみご加護を求めましょう。心から祈りましょう。すべての罪を悔い改めましょう。アッラーを忘れ、アッラーとの絆を失ってしまえば、その慈悲から遠ざけられることになるのを忘れないでください。そうなれば私たちは、現世においては主の助けもなく、心に恐怖を抱えることになるでしょう。そして来世においては、主の大いなる罰が科されることになるでしょう。

[1] Luqman, 31/22.
[2] Bukhari, Riqaq, 41; Muslim, Dhikr, 14.
[3] Zumar 39/53.
[4] Hashr, 59/19.


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