東京ジャーミイ 金曜礼拝のホトバ「アッラーにつながる善行」

Friday Khutba

尊敬すべき信仰者の皆様!

ある日のことです。教友たちとの会話の中で、アッラーの使徒(彼の上に祝福と平安あれ)が、「あなたがたのうち、今日は誰が断食をしていますか」と尋ねました。アブー・バクルが、「私です」と答えました。すると私たちの預言者は、続けて次のように尋ねました。「あなたがたのうち、兄弟たちの葬儀に参列した者はいますか。貧しい者に食事を食べさせた者はいますか。病人を見舞った者はいますか」。

(「誠実な者」と呼ばれた)アブー・バクル・アル・シッディーク(彼にアッラーのご満悦あれ)は、そのすべての質問にうなずき、「私です」と答えました。すると私たちの預言者は、教友たちの前で、次の通り吉報(きっぽう)を私たちにもたらしたのです。「(これらの善行と)つながりを持つ者は、誰であれ楽園に入るでしょう」。.”[i]

親愛なる兄弟、姉妹の皆様!

私たちを楽園へと連れてゆく、真理の道の第一歩とは信仰であります。心の中の信仰の教えに従う者は、永遠の祝福を授かることでしょう。私たちの義務とは、最後の息をひきとるときまで自分の信仰に忠実であること、私たちの主に仕(つか)えるという約束を守り、私たちの言葉や行為に信仰を反映させ、自分自身のふるまいをもって信仰を生かし続けることであります。私たちの全能の主は、聖クルアーンを通して次のように告げておられます。「……信仰して善行に勤しむ者たち、これらは、衆生の中最善の者である。かれらへの報奨は、主の御許の、川が下を流れる永遠の園である。永遠にその中に住むであろう。アッラーはかれらを喜ばれ、かれらもかれに満悦する。それは主を畏れる者(への報奨)である」。”[ii]

兄弟、姉妹の皆様!

楽園に至る道における、第二のステップとは善行、良い行(おこな)いであります。善行には限りがありません。善良で美しい態度や、真実があり意味のある行為により、私たちの主の御前にたどり着くこと、それが私たちの願いであります。それがアッラーの御顔以外の目的や期待のためにされたのでない限り、注意深くなされた親切や、やさしい言葉がけ、人間としてふさわしい美しいふるまいのすべてが善行なのであります。

尊敬すべき信仰者の皆様!

信仰を完成させ、信仰者を楽園へと導くのに、最もよい働きをするのが善良な道徳であります。信仰者は、両親、配偶者、子ども、隣人、親戚、誰に対しても、またありとあらゆる生きものに対しても愛情と思いやりを示すものです。信仰者は、自分の行動や言葉で誰かを傷つけることはしません。信仰者の周囲は、いつも信頼感で満ちています。主に命じられたことに誠実であり、決して逸脱(いつだつ)することもありません。信仰者は、自分がした約束を守ります。楽園へと向かう者とは、すべての物事において、自分の人生のあらゆる瞬間において、ただアッラーの御顔のみを求める者であります。

兄弟、姉妹の皆様!

ジュムアのこの時、自分自身に、次のように問いかけてみましょう。私たちの主に託されたこの人生を、私たちは何をして過ごしているでしょうか。私たちの歩むこの道は、楽園へと通じる道でしょうか。あるいは、楽園へと通じる道からは外れていないでしょうか。私たちの人生を通して、楽園へと至る橋をかけることができているでしょうか。あるいは、自分と楽園の間に壁を作ってはいないでしょうか。私たちの言葉や行為には、誠実さが込められているでしょうか。あるいは、偽善と虚栄心のために、自分の行為を無駄にしてはいないでしょうか。

親愛なる信仰者の皆様!

本日のホトバを、私たちの愛する預言者のハディースをもって終わります。「あなたがたが、次の六つのことを私に請け合うなら、私はあなたがたに楽園を保証しましょう。すなわち、話すときには真実を話しなさい。約束をしたなら、守りなさい。何かを託されたなら、尊重しなさい。自らの貞節と尊厳を守りなさい。自らの目を、ハラームなものから守りなさい。邪悪なものから、自らの手を引きなさい」。[iii]


[i]Muslim, Fadhail al-Sahaba (Merits of the Companions), 12.

[ii]Bayyinah, 98/7-8.  

[iii]Ibn Hanbal, V, 323.


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